奥秀太郎監督の最新作USBを見てきた

久々の日記更新。かなり長文なので先に要旨を。


では本文。



■奥との思い出と最新作USBへの招待


6月になって、一通の招待メールが届いた。

奥の最新作映画、「USB」の上映会招待だった。
http://www.usb-movie.com/index.html

ああこれか、1年くらい前にかかってきた電話の件。
親が病院を経営している同級生の連絡先を聞いてきたのは。
結局対して力になれなかったけど、義理堅いなあ。


ちなみに奥とは、まかりまちがえばルームメイトとして数年過ごしたかもしれない縁。

というのも彼が夢の遊眠社野田秀樹さんに憧れていたので入りたい学生寮があった。
その学生寮が3人部屋だと知って「俺がその大学入ったら、Fと一緒に3人で寮入ろうぜ」と誘われてた。まぁ、僕に美術的素養はなかったけれども高校の文化祭で劇団手伝った後、彼が授業をフけるのもたびたび手伝いしてたから誘いやすかったのだろうと思うw


結局僕しかその大学入らなかったので、そんな未来は訪れなかったわけだがw でも3年次の時にはその学生寮がちょいと無法地帯になり、私も1部屋3人分を1人で独占していたから、携帯やメールの普及があと数年早くて交流がつづいていたら奥の道具置き場になっていたかも知れんw


ただまぁ、正直言って、大学入学後は接点は無かった。ここにきて徐々に接点ができ始めているのが驚いているくらいだ。(きっかけは2月に厚木の放送機器の部署に異動したこと)






思い出話は一旦おき、USBである。6月6日の封切りに奥自身も来るということでその日に見に行った。その前の週にかなりファミリーポイント(子持ち共働き仲間に通じる符丁)を消費していたのだが、「これも仕事の一部なんだ」と妻たちの協力をいただいて出動。


 席はなんとF-8で驚くほど正面の最も見やすい席だった。

 (視聴)・・・ストーリーは劇場にて。


上映後、封切りだったので、舞台挨拶として主演とヒロイン、そして監督の奥が出てきた。堂々としている主演2人に対して、照れてみたり、頭を掻いてみたり。そして丁寧なしゃべり。あぁそうだ。その独善的な世界観・作品に対して、この小柄で丁寧な人物のギャップ。これが奥だった。 

2月以降、映像関係の商品のレビューとかで静止画では見ていたが、その時は「あれ?なんか違う」と思っていた。でも、その時はレビューに箔をつけるためか、堂々とした顔の写真が選ばれていただけだ。

あの攻撃的な世界観という"餡子"(と呼ぶよりももっとどろどろしたものw)が、丁寧で腰の低い人柄という"皮"で包まれている。だからこそこうした数十人レベルの協力が必要な映画を作れている。やはり会うと違うなぁ。

舞台挨拶が終わった後、意外にお客さんは素直に帰る。ちょうど出口に、奥が居たので、「招待してくれてサンキュー」とお土産(DVDとその前の週に行われた同窓会のパンフ)を渡して少し話して帰途についた。





■感想を書くにいたったきっかけ



上映が終わった時、隣席のカップルは「全然分からなかったね」と言っていた。確かにものすごい密度で情報と思いが詰め込まれていた。

視聴前にパンフを買って読んでいなければほぼ理解不可能な濃度だろう。(後述のように僕も追いきれてない部分はある)

なのでこの先はストーリーには触れないが、パンフには載っているキーワードは使用させていただく。パンフを見ずに一発勝負で見たい方は、映画観た後で。




(パンフ無しだと辛い例。一見背景のように使われている「サテライト授業の板書」の内容に、他の映像の1カットに込められた意味の説明が詰まっている。(「帯化」、「対照実験」など))


さて、上映後に改めてみると、チラシには下記のようにある。


一見幸福な風景が静かに蝕まれていく。
見てみぬふりをする、あえてさける、くさいものにふたをするのが大好きな日本人
多くの若者が絶望する現実を、真実をあえて語ろうとしない。
政治的・社会的問題を解決しないままなし崩しにしていく。
そこにこそ自分たちの鬱の根源がある。
あいまいすぎるのもいいかげんにしろ。
僕は行き場のない日本の闇の中で、「愛」の糸口を探したかったのです。 ----奥秀太郎


この言葉を奥秀太郎は実際に「言った」と思う。真か偽かと言えば「真」。でも実際には、彼の話が移ろっていく中で、チラシ担当の人が「切り取った」彼の思いの一断面だと思う。この次の瞬間には全く逆のことも思っていたと思う。


何か分かりやすい現実のスナップショットは必要だ。「キャスト」とか「愛」とかという"価値観が定まった"スナップショット。あるいは「饅頭の皮」。特にチラシのようなスペースが限られている場では。でもこれを読んで改めてそれとは別の部分、「うつろい」からUSBを少し語りたくなった。


パンフレットの監督インタビュー内での彼の話の「うつろい」方を見ていて確信した。さらに彼自身、パンフの中で「放射能エンターテインメント」とその場で名付けていたから当たらずといえども遠からじ、とは思う。



今、インディーズ映画の製作手順を追う中で、本を読んだり、いろいろな協力を得て監督に会ったりして「1カットも意味のないカットはない」ということを感じているから以前よりは感度は上がっているとは思う。



とはいっても、これでも全ては拾いきれてないだろうし、もともとそれは無理な話。

もちろん私もUSBのすべてを感じられたわけではない、例えば、主人公が母の作ってくれた弁当からモツの一部を捨てて踏みにじる描写はカットとして存在感があるのだが、ここに込められたメッセージを拾いきれていない自分がいる。

でも、かなり今回は波長が合ったのではないかとは思う。



それは奥は僕と同じで「うつろい」への問い、の最中にいるんだな、と感じることができたということ。
もちろんこれはやはり相手に自分の心象を重ねている面も大きいだろう。

と、断った上で。


中学高校という多感(らしい)時期を同じ環境に居た人間が見たUSB。ストーリーには触れずに。パンフレベルの情報でとどめつつ。キーワードは「うつろい」

ウツロイについては下記を参照して下さい。 
ウツロ(虚)からウツツ(実)へ、ウツツからウツロへのウツロイこそが、
日本文化の鍵である、というような内容です。

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス) (単行本) 松岡 正剛
http://www.amazon.co.jp/p-sosokoro22/dp/4140910674



■USB感想本編




USBのもともとのコードネームは「桜の木の下で」。これが「Under the Sakura Blossom」となり、USBへ。なので桜は大きなキーワードである。



確かに奥は桜が好きだった。


そういえば高校の時に部室棟に沿った桜並木が満開の時、奥を含む美術部の連中に誘われてその部室棟の屋根に上った時のことは今でも強く印象に残っている。

満開の桜並木を見上げている状態から、自分の地面が2階分上に上がったことを想像してもらえるだろうか?
 
満開の桜を「見上げる」のではなく満開の桜に「囲まれる」いや「包まれる」

一種この世ではない世界を覗いた気がした。
 


そう、桜も中学高校も、普通の世間と異次元との境・縁(ふち)だった気がする。




 僕や奥が通っていたのは中高一貫の男子校、そして進学校なのでそこに入った者は、「普通と異常」「均質と異質」「主流と異端」といったものの表裏一体な転換・うつろいを経験することになる。

まず分かりやすいところでいえば、男子校ということで、「異性がいることが普通→異常」、「男だけであるという異常→普通」。均質という異常が日常となるわけだ。

さらに進学校ということで、小学校時代の神童が「普通」になる。偏差xx以上の集団と言う異常な均質さが日常となるわけだ。

となるとすごい天才集団(0→1)のようで、事態は逆をたどる(1→0)。高校受験がないので授業中の好き勝手ぶりは加速し、中3の時には誰もが「人生で一番バカをやる状態」になる。まぁ世でいわれる「厨ニ病」が高校受験がないので治らずさらに「厨三病」にまで悪化することを想定していただければ(笑)

それが少しは「正常化」するのは、高校編入組という(世の中的には"正常"な)「異端」が混入して自分たちのヤバさに気づいてからである("異端"による正常化)。

そしてそんな正常化が行われたころに、"運動会準備と言う名の非日常"が始まり、そんな"非日常が日常化"する。その"運動会という日常"は運動会当日に頂点を極め(→∞)、振替休日をはさんだ翌々日から突然に、運動会は区切られ(∞→0)"受験生という日常"が始まり、"運動会"を引きずったものは"浪人するぞ"という名の異端扱いになる。

その辺は、程度の差はあるが、8月15日の玉音放送に近いかもしれない。
こう書いてきてふと、「戦争を知らない世代とそれ以後のギャップ」に思いが馳せたが寄り道しすぎるので今回は割愛。



まぁ、そんな「うつろい」にあふれた中学高校時代を過ごすのである。



ここで話を桜に話をもどそう。




桜、いやソメイヨシノという存在もまた、そうした均質と言う異常が内包するウツロイを秘めに秘めた存在だ。遺伝子レベルで。

ご存じの方も多いと思うがソメイヨシノは種子では増えず、挿し木で増えるため、すべてがクローンである。

生物の最大の目的が自分の遺伝子の未来への伝達であると考えれば、かなり異質なことである。異質ゆえに均質な子孫が残っている。違う面でいえば、生殖・結実は生物最大の仕事であるのだが、ソメイヨシノはそれを不稔(不能)[0]したことによって逆に、クローンを大量に生むことができている[1]。

そして、クローンゆえに、「一斉に花が咲く(均質)[1]」しかし、これは花一般からしてみれば"異常"な事態である[-1]。ところが、その異端さがあまりに見事[1]だからこそ、特定の花を名前を冠さない[0]「花(見)」の称号はソメイヨシノに与えられている。つまり花の代表[1]だ。

そして一斉に花が咲くからこそ[1]、その開花時期が数日単位で取りざたされ、咲いていない[0]時期が意識され「狂い咲き」という言葉も生まれる[-1]。

さらに空間と時間を繋げて、春のごく一部[→0]しか登場しないのに春全体を象徴[→∞]していたり、一斉に[1]散る[→0]からこそ永遠[→∞]を想起させる・・・などなど他にも思いつくがこのあたりで留めておく。

この日本に存在するものたちのなかでも、まさに[0]と[1]([-1])[∞]の間をうつろう度合ナンバーワン。日本を代表するにふさわしい。



ソメイヨシノの持つ、遺伝子に起因するめくるめくような「うつろい」のつながり。奥は、人と原子力発電(放射能)の関係にも、そのつながりを感じつつあるのではないか。

そんな桜が、「桜の木の下で」→ "Under the Sakura Blossom" → USB となったとたんに、0/1の塊であるUSBメモリとも繋がったところにまた面白みがある。そしてそのUSBメモリが「変異」の情報を伝播する。

そしてその情報を確認する医師の表情[0]が奥を絶賛[∞]させたらしい(パンフによれば)・・見事なうつろいと呼ぶべきか。



以上が、「うつろい」から想起された、僕のUSB感想である。

Uturoi kara Soukisareta Boku 略してUSBということで。お粗末様。


 もしかしたら、いやおそらくこの感想は奥の意図と異なるかも知れないが、すくなくとも映画一本分見た、それ以上のインスピレーションを与えてくれた。感謝したいと思う。


この映画に興味が出たら、期間&映画館限定なんで、渋谷のシネマライズで見てやって下さいな。
http://www.usb-movie.com/theater.html


#余談
Agent Orangeというキーワードでもう一つ奥との思い出話があるのだけど、それはまた別の機会があれば。多分この思い出があるから「桜」と「放射能」がつながったともいえる。