テレビは光のメディア、映画は闇のメディア

昨年のCEATECで聞いた、大林監督の講演の中でハッとしたことがあります。

「テレビは光のメディア、映画は闇のメディア」という対比でした。


テレビは白が基調で、時間的にも光っている時間の方が長い
映画は黒が基調な上に、少なくとも時間的に9分の5、
つまり半分以上は闇が占めている。

この違いが何を表すか?それは
同じ映像でもテレビが提供するのは映像そのものが持つ「情報」。
視た人は、テレビに映っているそのものを、見る。

一方で映画が提供するのはある意味でその逆。
「映画において、映っている映像は極端に言えば仲介物で、映画が提供しているのはその合間合間の闇にこそある。」
「人は、その9分の5の闇の間に、自己と出会うのだ」
とのことでした。

だから、「テレビは見て"何かが分かる(情報を得る)」ことが大事だけど、
「フィルム映画においては、どんな感情を受けたか」が大事。


そしてこれは物書きさんには遺憾ながら、おそらく奥という男は
「人に爽快感を与える」ことよりも、「人が普段抑圧している、掘り起こすと不安定になる感情」を与える方を狙っている男です。

物書きさんはUSBを「正しく」鑑賞したと言えるのではないでしょうか。
そのことに対して「金銭的価値を感じる」か否かは価値観の相違がありそうですが、原子力に対しての無関心を引き剥く、という行為は、不快ではありますが、今の現状では無価値なものではない気がします。