地球を「持続可能にする」という課題へのアプローチ

もちろん「地球を持続可能にする」このことに僕は異論がありません。
それどころか、僕は上の考えがまだ「異端」とされてるころから、これに研究者として従事していました。しかし、そこでの前提

  • 課題「いまの生活水準を産業革命前に戻すことはできない」


「できない」という言葉には2つあります。
「本当に不可能」なのと「やりたくないから不可能」なのと。


この課題の場合は「後者」です。
「本当に不可能」というのは、「来年から植物のように水と二酸化炭素と日光だけで自己光合成して生きていけ」というような話です。


というのも上記の課題を達成する方法は「科学以外の方法」を使えば可能ではあります。
例えば宗教であったり(インドのカースト制)、軍事力であったり(戒厳令配給制)。


ただ、こうした手段を取らないのは、それが各種の「(大きな)痛みを伴う」方法であり、とりたくないからです。ただし、「痛みを伴わない」選択肢、「科学技術の進歩でなんとかする」は「コストがかかる」、ぜいたく品なわけです。


それでも、社会全体が"金銭的に豊か"であれば、「コストがかかる」ことは大した痛みではなかったわけですが、バブル以後の不況下では「痛みを感じる」レベルであり、10年前から企業の「中央研究所」みたいな「ぜいたく品」はどんどん無くなっているわけです。