近代史がとっつきにくいのは、地政学を習いそびれているからでは?

次女の中学受験のことを考えていたら、「なぜ近代史からつまらなくなるのか?(わかりにくくなるのか?)」が見えてきた、という話。

今朝、次女のお弁当を届けに塾に行った時に、社会の先生と相談した時に「地理には“地形”と“産業”がある」という一言からハッとして書き始めた9画面(のうち今日は上の6画面)。

 

上段に地理分野を置き、下段に歴史分野を置くと、対比が面白い

作ってみた結果を、校舎長でもあるその社会の先生に見せたところ「まさにこれを子供たちに気づいてほしいと願ってるんです」と言ってもらえたので、開示しつつ、意見をいただきたいところ。

 

この対比で、「近代史にはカウンターパートが抜けている」ことから、「なぜ日本史は明治に入るとつまらなくなるのか?」という自分の長年の疑問が解けてスッキリした。

 

 

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歴史と地理の関係

まず、中学受験では地理は「地形」と「産業」に分かれる。

そして、歴史はざっくり、近世までの歴史と、近代史と、現代史に分けられる。

 

 

近世までは地形&偉人と歴史はダイレクトにつながる

歴史のうちで、近世というのは、まだ科学の力を人間が工業レベルでは使いこなせていない時代で、「人力<<自然」な時代。

だからこそ、地理で習う「地形」がダイレクトに人の営み(歴史)に効いてくる。

まずは文化(と技術)の中心たる京都からの距離に応じて栄え、開墾技術が進むと日本各地の平野の大きさが石高=国力に効いてくる。

平安時代畿内が強かったが、鎌倉以降は関東地方を抑えた武家の棟梁が征夷大将軍として幕府を開く(室町幕府を開いた足利家も、栃木県を中心にした一族である)。

なお、鎌倉は山に囲まれた場所に置かれたのも地形的要因。

近世までの間は、国内の領土と、天皇からの地位(摂政関白→征夷大将軍)を得るための国盗り合戦。権力を握った「個人(偉人)」とセットで歴史が動いていく。

そして、動いている範囲も基本的にはなじみのある日本国内。それも関東と関西が基本。たまに中国(遣唐使とか、元寇とか、倭寇とか)と、宗教(仏教伝来とキリスト教)が絡むけれどもスパイス程度の存在。

 

 

近代では歴史が「日本以外(列強)を中心として動いている」(が習わない)

それが変わるのが近代。科学と工業の発達で、自然の働きを国家の働きが凌駕する。

しかもそれが、産業革命に近かった欧米で起きていて、日本にとってはいきなり明治時代に「列強」としてやってくる。

実は明治政府が行った様々なこと(廃藩置県や、地租改正、中国侵略)は、この「列強に日本が侵略されない」ために(それまで200余りの藩の集合だった)日本を国家として急造した動き。

明治維新から、日露戦争勝利までわずか38年)。ここから第一次世界大戦の1917年までがボーナスタイムで、以降は危険視されて、徐々に列強に包囲されて破綻するまでが28年。

この時、必要なのは、それまでの「国内の地理(地形)」ではなく、むしろグローバルな地政学。もっと言えば「列強の歴史」。明治維新の頃にちょうど南北戦争があってアメリカは忙しかったとか、その前にアヘン戦争があったとか、イギリスの東インド会社とか・・・

そういう動きのもろもろがあって、実は日本の動きはそれに翻弄されつつしがみついている感じ。

近世までの「起きていることが、国内でなじみのある範囲」だったのが、歴史の中心を知らされず、周辺部を学ぶことになるので、これまでと勝手が違ってしまうのが「明治からの難しさ」なのだなあと今更実感。

もっと言えば、そもそも「科学の発展」が欧米で起き、その工業化で「国家の成長スピード」が桁違いになったことも背後で起きている。この「科学史」を理科と絡めて“欧米の列強感”と並べると効果があるのかもしれない。

というのも、近世までの日本史は(入院レベルでおなかが痛くても、抜け出して9割の点を取るくらい)好きだったのだけど、明治からは好きになれなかった。

自分は、以下のエントリを見て、「ようやく明治以降の日本史を面白く」みられるようになった。 

 

(図を再掲)

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現代史は法が主役で企業活動が裏にある&ニュースで見られる(ので身近)

で、終戦を迎えた後の現代史になると、列強という話は、国際連合およびその国際機関に吸収され、少し紳士的になる。

ただ、現代史が若干不自然なのは、大戦以降に国家よりも実質的な力を持った「企業活動」というものが若干ぼかされたまま学習が進むことだと思う。

オイルショックが大問題なのも、公害が起きたのも、環境問題が深刻化したのも基本的には「企業活動」のボリュームが地球の規模を超えてしまったから。

それを調節するのが市場ルールであり、「法」である。(今日は憲法記念日

ただ、この辺りは歴史的にも地理的にも離れた「列強史や地政学」と異なり、親が企業に勤めていたり、自分自身も企業が作った商品の消費者だったりするところから、なじむチャンスがある。

公民に関しても、現代なのでテレビのニュースを見ていれば、「自分のなじみの範囲」になる。

なので、現代史や公民はなんとかなる。だけど、近代史は「実際の中心」から遠くを学んでいるから、わかりにくいのではないか?

もう少し、地政学科学史を学ぶとよさそうかも? という話でした。