贈与格差社会

TwitterのTL上でアプリ制作者たちがgoogleなんちゃらとかmixiなんちゃらに招待されているのを見ながら思ったエントリ。


一言で言えば、「知」に関し、「贈与するものは、より贈与できるようになり、そうでないものはそうでないまま」と格差が広がっていくのではないかな、という予言。

「贈与」については内田樹さんのblogが示唆に富んでいます
http://www.google.co.jp/search?q=%91%A1%97%5E&hl=ja&ie=Shift_JIS&domains=blog.tatsuru.com&sitesearch=blog.tatsuru.com

突然ですが、ボードゲームをやっていると戦略は大きく2つに分かれます。
贈与という言葉を使えば、「収奪モデル」と「贈与モデル」です。

ざっくり言えば軍事力重視で行くか、内政・交易重視で行くか。


勝利条件が定まっている場合(ほとんどのボードゲームがそうだが)
戦略は、収奪モデルの方が立てやすいです。
「自分に必要なもの」をリストアップして、それをどこかから奪ってくればよいからです。

一方で「贈与モデル」の方は難しい。たいていの場合、内政だけでは軍事モデルに負け、交易まで含めると、
「自分に必要なもの」と「交易相手に必要なもの」との把握が必要だからです。
そしてそれはリストアップがより難しい。
#たまに、「場に対してコストを払う」という手法で定式化されているゲームもあります。
リストアップするよりは臨機応変力が問われます。



しかし、多くのボードゲームのような

・勝利条件が定まっていて
・関係する相手が少数で
・短期(数時間)で決着がつくもの

は、収奪モデルが有利ですが、


・勝利条件は定まっていなくて
・関係する相手が多数で
・長期にわたるもの

に関しては収奪モデルは分が悪い。

なぜなら、収奪はゼロサム(むしろマイナス)なので、
収奪を続けていると、収奪物/効率は徐々に減るからです。

一方で贈与モデルは、プラスサムであり、尻あがり型です。

しかも知を贈与した(教えた)ものは、より多くを教わっているものです。

さて、現実世界では今までは「知」よりも「金銭」という基本的にはゼロサムなものが主役でしたから、どうしても収奪モデルが優勢でした。

金銭を贈与する相手は、どうしても数が限られてしまいますから。


しかし、ITによって「知」は「多数の相手に贈与できる」ようになりました。
今はまだ、収奪モデルが幅を利かせていますが、
徐々に贈与モデルな生き方が、分が良くなっていくものと思われます。


そうなったらいいな、という方向は気軽に予言しておきます