■「澄」

今度はすみれお姉ちゃんの「すみ」です。もちろん「秋の澄みきった空のような瞳・心」であってほしいと願っていますが、また同時に「清濁あわせのむ」タイプにもなってほしいと考えています。「澄んでいてほしいのに濁りも含んでいてほしい」言葉で書くととても矛盾しているようですが、世の中にはそういうものも存在しています。パパはそういう二律背反を含むものが大好きです。


言葉や人間の考えで矛盾していても世に厳然として存在しているものがあった場合には「自然に謙虚に学べ」僕がこれまでに会った多くの師の中でも一流の人ほどそう言っていました。

おっと「澄んでいるのに濁っているもの」でしたね。そう「ほずみ」の「澄」が濁って「ずみ」になっている=「澄んでいるのに濁ってもいる」というのはパパのお気に入りの部分です(笑)。



また、この字は「水」+「登」としても選びました。


「水」:幸いにして、ほずみは家に幸運をもたらすという辰年の子、それも壬辰(みずのえたつ)という60年に1度の水龍の年の子のようです。これからアジアが伸びるであろうあなたの人生で、あなたのことを「運がいい」と思ってもらえるというのはラッキーなことです。「運がいい」というのは誰かからそう思ってもらうことで始まることも多いのですから。また偶然とは重なるもので、ほずみが産まれた日は「壬寅(みずのえとら)」と、さらに水に関係のある日でした。また、「サンズイ=水」は3画にも4画にもとれるので、姓名判断の防御にも働きます(お姉ちゃんたちの王扁や草冠も同様)。出会ったらいい方を選んで下さいね


「登」は足の高い食器に食物をささげ持つ姿とも、そのために踏み台に足を乗せる姿とも言われていますが、ともに(神などに)自分の成果を贈る一幕です。神を信じる信じないは「ほずみ」の自由ですが、人生とは自分一人ではなく、「自分が感知していない何か」が常に存在し、互いに影響を及ぼしあっていること。そして、贈りあうことが皆のためということは意識しておいて損はありません。

参考までに、内田樹「才能の枯渇について」

http://blog.tatsuru.com/2010/12/26_1356.php

これは、ささやかながらも幾ばくかの才能を与えられたパパの人生の経験からもあっています。

他にも内田さんblogの贈与の項には、パパが伝えたいことの多くが述べられています。

このまた、「登」は「木」とあわせてシンボルカラー(橙)にもなりますし、後述に述べる部分のジョイントパーツでもあります。