少年J君とサッカーとアベノミクス

選挙ポスターや、政見放送を目にする機会が増えました。

景気回復、と言っている話。「産業立国」を歴史的に俯瞰すると、とてもズレた戦略であるということを、少年J君のたとえ話でしたいと思います。

ずば抜けた脚力をもつ少年J君が居ました

  • 自分の近所に、腕力はあまりないけれども、マラドーナのような筋肉質の太ももを持った少年J君が居るとします。

もちろん、その脚力たるや目を見張るもの。
皆さんならこの少年に何をするのを勧めますか?
少年にはいろんな可能性があるとは思いますが、やっぱりサッカーを勧めてみたくなりますよね?


サッカーは有名ですし、ビジネスとして成り立ってますし、世の中でスターになった時の高額な報酬も約束されています。


その少年は才能も有ったのか、なんと19歳でワールドカップに出場して脚光を浴び、世界で戦い、24歳の時にはなんとチームで世界2位になりました。


その後も、見事な脚力で世界2位をとり続けます。

そんな彼も、中年太りしてきました

  • そんなJ君も35歳くらいになると贅沢を覚え、世の中のおいしいものを買いまくり、食べまくるようになりました。

それでも昔取った杵柄で、世界2位の地位を守っていたのはさすがとしか言いようがありません。
青年期とともに、この時のいい思いは今のJ君にとってまだ忘れられない思い出です。ああ、戻れるならあの時に帰りたい。



老境に差し掛かり、脚力は萎えてきました。でもさすがは世界2位になった男、そのセンスは抜群です

  • そんなJ君も45才を過ぎてくるとさすがに衰えが目立つようになりました。

昔のようにサッカーしようとしても、ピッチにはもっと若い選手たちが躍動し始め、昔のようにはゴールを決められません。

それでもサッカーを諦めきれないJ君は今もピッチに立っています。しかし、彼が脚光を浴びることは無く、69歳を迎える現在、J君のここ20年のサッカー人生は「失われた20年」と呼ばれています。

そろそろお察しの通りJ君は「日本の人口ピラミッド」、サッカーは「営利企業の経済活動」の比喩です

  • (J君はちょうど団塊の世代と同い年くらいだったりもしますが・・・あくまで象徴であって、日本全体の人口ピラミッドと思って下さい)

この比喩に乗っかるとすれば、J君は49歳の時(1994年)に小さくないケガ(阪神大震災)をし、
63歳の時(2008年)には世界的に流行したインフルエンザ(リーマンショック)にかかり、
66歳の時(2011年)には、大ケガ(東日本大震災)をして、その時の後遺症(津波原発被害)はまだ癒えていないのが今でしょう。

アベノミクスは、そんな老人に「サッカーしろ」と

それは、70にならんとする老人に、「ほら、いくらでもトレーニングはさせてやるし、いくらでもドーピングさせてやるから、サッカーでもう一度2位になってこい!」という政策です。

これは無茶ですし、フィールド上の若いプレイヤーにとっても迷惑この上ない行為です。

でもJ君は、なんだか自分が馬鹿にされている気がしているのか、フェアプレーが身上だったのをやめて、いつでもナイフを振り回せるようにしたいようです(改憲

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  • 50年前のビジネスモデルである、「原料を買ってきて、加工して、高く売る」は全員貧乏がベースの戦略


これができるのは、若く、賃金が世界平均よりも低い国の(特権的な)モデルです。
労働者の賃金だけはその「国としての若さ=低さ」にしたいようですが、それが成り立つためには、今の給料の5分の1、それには合わせて家の価格も5分の1、生活必需品も5分の1、もちろん年金も5分の1にしてこそ成り立つ戦略です。


アベノミクスは「景気回復 この道しかない」と言っていますが、「産業立国」という歴史を俯瞰的に見れば、上記の「全てを低く」しない限り成り立たないのですが、そのことに目をつぶってませんか?


日本は、「産業立国のその次の立国」にいくべきです。
アベノミクスには歴史的に俯瞰して「持続性」も「成功する事」もありません。若者の貧困が増えるだけです。
(まぁそうして、時の政権が、全く別の政体になっていく、というのも歴史の必然ではありますが)





「景気回復、この道しかない」とか言っているアベノミクスは、もう少しその「持続性」についてきちんと見てほしいものです。