終戦記念日に国家を思う

今日は69年目の終戦記念日
終戦記念日とは、戦争が終わった日であると同時に、大日本帝国の事実上の終了日といえます。


そう、日本というCountry(地域としての国)は連続的でも、States(政体としての国)はところどころ切り替わっています。
鎌倉時代室町時代、江戸時代、のように。
「国家」というはそういうものです。

なぜか江戸時代より後は、元号ごとに「明治時代」「大正時代」と区切られていますが、江戸時代までの分け方に倣えば、今のところは

〜1868年 江戸時代
1868年〜1945年 大日本帝国時代
1945年〜 日本国時代

ということになります。(まぁ、そう言いたくないから、明治、大正、と区切るのでしょうが)

さて、そんな大日本帝国時代は何年続いたのでしょうか?

実は明治維新で一番早い年号である1968年を採用したとしても、
1945 - 1868年 = 77年

そう、大日本帝国は77歳の寿命でした。
一方、今の日本国は今、69歳です。

ちょっとその双方を同じ軸で見てみると、少し面白いことが見えてきます。

江戸幕府の200年以上に及ぶ鎖国政策で、世界の軍事的には圧倒的に立ち遅れていた明治維新時から、欧米の技術を取りこんで大日本帝国が世界の一等国として名を挙げたのが1894年の日清戦争
これは大日本帝国26歳の時です。

一方で、日本国が敗戦し、生産拠点がほぼ失われた状態から、
戦後復興しGNPがアメリカに次ぐ第二位になったのが1969年。
日本国24歳の時でした。ほぼ同じころですね。

目標を立てるのが苦手とされる日本人ですが、復興のように「行く先が明らか」な場合、教育の充実、単一言語圏であることから、ものの四半世紀ほどで世界トップレベルになる能力があるようです。

第二次世界大戦後、先進国同士の戦争は、軍事的な戦争から経済的な戦争になったと言われますから、ちょうどこの2つが符合するのも偶然ではなさそうです。

そして大日本帝国は10年後の1904年からの日露戦争で、強国ロシアと互角に渡り合い、強国相手に海戦でも勝利しました。そしてアメリカは両者の講和会議を取り持ちます。
しかし、アメリカはその後、日本を警戒し、日本を仮想敵国としてゆるゆると包囲網を作っていきます。

一方、日本国側も10年後の1981年。ジャパンアズナンバーワン、ということで日本製品が世界中を席巻しました。
アメリカとは貿易赤字が問題となり、アメリカは日本の保護者から、やはり日本を敵視する形となってきました。

そして1990年代、日本国が45歳と厄年を過ぎたあたりから、失われた20年が続きました。
一方、大日本帝国側はどうでしょう?確かに日露戦争の後、日清・日露ほど有名な年号は1937年までないと思います。

実は大日本帝国の領土、台湾を1895年に併合、1910年の韓国併合大日本帝国42歳)の後、ほとんど増えてはいません。
まぁ大きい戦争をしていないので当たり前ですが・・・

さて、その後・・・日本国は失われた20年が続きました。
大日本帝国側も、閉塞感があったようです。



・・・とここまで、国の年齢を人間の年齢になぞらえて比べてきましたが、このように似た経緯をたどるのは偶然でしょうか?


いえ、私は偶然ではないと考えています。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」の中の言葉に「老いが人を頑固にするのではない、成功が人を頑固にするのだ」があります。


これは、「ローマ人の物語」でも特に後半で繰り返し語られるフレーズで、その対象は人でもあり、その人が集まった国家についても、この「成功による頑固さの増大」は共通です。

バブルというものは、なぜ起きるか?
それは、成功には様々な要因があることを知らない人が、目の前にある成功が簡単に続くと当て込んで先の利益まで買い占めようと欲をかいて起こります。


実は、これまで日本だけを取り上げていましたが、明治維新の当時、アメリカでは南北戦争が起き、国の年齢は同様の年頃だったといえます。

そして日本では1927年に昭和恐慌が起き、そしてアメリカでも1929年に世界恐慌が起き、世界中は更なる閉塞感に襲われました。
大日本帝国が62歳の時です。

さて一方、日本国の時代。リーマンショックが起きた2008年、日本国は63歳でした。
はたしてこれも偶然でしょうか?



それにしても、日本国は69歳。
大日本帝国が69歳になったのは1937年。満州事変の年です。
ちょっと良くない気がする年ですね。

これから「日本国」はどこに行くのでしょうか?


私なりの予想図はありますが、それはまた別稿で。

何はともあれ、終戦記念日に「戦争は二度と起こしません」という「何かをしない」という反省だけでは、そろそろ制度疲労を起こしているのではないか? という問題提起までにとどめておきましょう。

                                                            • -

誤解しないでいただきたいのは、戦争を肯定しているわけではありません。
戦争が起きるか起きないか、だけを見ていても足りない、と考えています。

個人的には、おそらく戦争ではない、「別の何か」が、今の世界中の国家を「壊す」と予想しています。

その災厄の回避もしくは軟着陸には、少なくとも「国家とは何か」という視座が重要になってくるでしょう。