僕とカタン

いよいよカタン、今年の日本大会が再来週に迫っていましたね。
とはいってもここを読んでいる方がすべてカタンを知っているわけではないと思いますので、世の中にあるレビューリンクは、ゆうもあのページから読んで参考にしてみてください。世界ではシリーズで600万セット売れた傑作ゲームです。ヨーロッパでは麻雀より有名だと思いますよ)
http://www.u-more.com/games/catan/catan_review.jsp



さて、ここから先は「カタン」を知っている人でないと分からない話になってしまいます。一応ネタだけ羅列しておくと

  • カタンとの出会いは1999年。ドイツでの発売4年後。カプコンカタンの3年前
  • この夏の18切符旅行で電車内でできるように工夫。
  • その工夫が、カプコンカタンのサイコロケースや、紙製体験版として形に
  • そのカプコン主催のカタン日本大会2003で、日本チャンピオンに


そんなカタンと僕の出会いは1999年の5月でした。(ちなみにカタン自体は1995年にヨーロッパで発売)
中1からの友人のfookuchi君が持ってきて、fookuchi,すずけん,sha,僕の4人でプレイしたのが最初だったかな。
この頃には、ルールを誤解していて「チャンスカード」が一度に何枚も使えることにしていたので、「最大騎士」がいつ逆転されるかヒヤヒヤしながらのドラマチックな展開の多いゲームでした。


と、すぐにカタンの虜になった僕は、その夏に予定していた友人との18切符での北海道旅行での車内でのありあまる時間にプレイできるよう、カタンをポータブルに出来ないかと考えました。
そこでした工夫は後ほど。


旅行後、sha君に誘われてカタン協会に顔を出し始める。最初に行った日に4ゲームを1位3回、2位1回。の+54ポイント。その次の回にも1位2回、2位1回、4位1回の+24ポイントでいきなり9位に食い込む(8戦5勝は3試合以上している人としては勝率1位)。なので何かこの時点でも世界大会への日本代表決定戦にノミネートされそうだったらしい(伝聞だけど)


その後、むしろ自分でゲームを買って周囲の人とやり始めたのと、カタン協会の行われる中野駅前のお気に入りの釜飯屋(特にうなぎ釜飯+だし汁が最高)がつぶれたこともあってしばらくカタン協会には顔を出していませんでした。でもここで色々な人に出会えたのはとてもよかったです。



さて、旅行用にした工夫は以下の通りです。(ちなみにこの旅行中、sha君は荷物に“トライソフト版カタン”を持ち歩いていて、夜中の泊まる時にはそちらでプレイしていました)



用意したもの

  • カタン島の形に6角形(HEX)を描画した紙をたくさん用意する。
  • 色鉛筆4本(緑、黄緑、黄色、水色)→地形塗分け用(白は省略)
  • サインペン4本(赤、青、黄色、緑)→道・開拓地・都市の建設用
  • トランプ 1組 → チャンスカード用
  • モノポリー(ポータブル)→お札を資源カードに使用 & 盗賊駒
  • フィルムケース、さいころ(2個)
  1. 資源カードを地形同様に木・羊・麦各4枚、鉄・土各3枚と、その他のお札1枚を砂漠用にして地形を決定する。
  2. 地形HEXを6角形を印刷した紙に色鉛筆で塗って作成する
  3. 初期配置含む建設はサインペンで書いていく(道が線。開拓地は丸。都市化で塗りつぶす)
  4. サイコロは車内でも振れるように、フィルムケースの中で上下に振って結果を出す
  5. 盗賊はモノポリーの駒で表す。
  6. チャンスカードはトランプを以下のように使用
  • A4枚+ジョーカー1枚の各5枚:1点カード
  • K2枚:独占カード(王様の独占)
  • Q2枚:収穫(資源獲得)カード(収穫の女神)
  • J2枚:道路建設カード(働き者のジャック)
  • その他の2〜10から11枚:騎士(ソルジャー)カード


「あれ、なんだか東京ゲームショウとかで配られた体験版の紙製カタンに似ているぞ」と思った方はなかなかのカタン通。
そう、実はアレ、この北海道旅行に同行したsha君がカプコンの人にこの話をして実現したものだったんですね。
自分のアイデアがきちんとしたカラー両面印刷で、説明つきで沢山の人に配布されたというのはとても嬉しいことでした。
ちなみにこの体験版以外にも、「サイコロの回りのプラスチックケース」という点にも反映されてます。






その後、
カプコンカタンは発売当日にゲームマーケット2002で限定10個だけ持ってきてあったのを購入(実はまだ未開封)。このときのは初回限定で袋がついてました。こんな感じ。
http://ybgc.chu.jp/catan.html



そして、2002年の第1回カタン世界選手権日本大会では見事に1回戦敗退。ていうか、残り3人のうち1人が自分が経験者であることを隠して「この人経験者だよ、怖いよ、怖いよ」と喋りで残り2人を操り、大苦戦(第三者が僕を止めるためだけに道路建設使ったり)それでも実は終盤に10の羊2枚を取り忘れなければ押し勝っていただけに残念。そしてこの大会での決勝戦(4人x2=8人)ではカタン協会から4人進出した。1人は出場するか?と思われたがmikoさん独走を同じカタン協会のK女史が阻止してゲームメイクし、その間隙を縫って14歳の永井君がチャンピオンに!K女史は「10点になる交渉をしてしまったこと」を後悔していたが、カタンの普及にとっては一番良かった結果ではないかとカタン協会のメンバーからは慰められていた。


ちなみにこの年にはsha君と一緒に自費でドイツのエッセン(カタンの世界大会本選も行われる)へ。ドイツを楽しむ。ちなみにsha君は前の年に日本代表としてエッセンに行っていました。(このときも自費。ちなみに彼は135人中見事にどまんなかの68位だっただろうか。そんな感じ)


2003年の第二回大会では、参加者のレベルがぐっと上がり、変に喋りで人を操る人もなく1回戦、2回戦と楽しみながら、運にも恵まれて勝つことが出来た。思い出深いのは準決勝。卓を囲んだ4人のうち3人がカタン協会。一人は今はゲームスペース柏木の席主さんとなっているHさん(以下席主さん)、もう一人はカタン協会創設者の1人のhonbako、残りのもう一人のAさんもカタンをやりなれている方だった。
ゲームはさいころの目が席主さんに微笑み、羊専門港を駆使して10点にリーチする。そして僕の振った目でさらに羊が5枚席主さんに入ってしまったので、僕は手持ちの独占カードを用いて「羊港も持っていないのに羊モノポールをする」という事態に。しかしそうして身体を張ったのが良かったのかその後、接戦の中、誰もがあと1歩で勝利の中、サイコロの目に恵まれて勝利、決勝進出することができました。


勝戦では、4人のお互いが牽制しあい、あまり交渉が行われないまま、じりじりじりじりと場が進む。僕がトップ目だったので、てっきり誰かが言い出して止めに来るかと思いきや、結局そのままじりじりじりじりと僕が上がる。それもカードを一切使わず、「建物だけで10点」という類を見ない形での決着。お蔭様で日本チャンピオンになり、ドイツに行ってきました。


ドイツでは予選を2位と一瞬だけ世界で暫定2位?だったのですが、翌日の本選ではダイス目に恵まれず、3位に終わってしまったので、結局世界9位になってしまいました。あと1点あれば5位だったのですが。
http://www3.capcom.co.jp/catan/news/0011.html
http://www3.capcom.co.jp/catan/news/0013.html
http://www3.capcom.co.jp/catan/news/News031026.html
http://www3.capcom.co.jp/catan/news/News031027.html


ちなみにこのときに、120ユーロで「ウイスキーカタン」を入手し、そこに作者のトイバーさん、2002年世界チャンピオン、目の前で誕生した2003年世界チャンピオンのサインをしてもらいました。我が家の宝物の1つです。


翌年の2004年大会については去年の8月の頃に色々書いてあるので割愛。結果から言えば、本選の3試合は全勝。でも決勝では実質ゲームをさせてもらえずに終了。という感じでした。あと、カタンTシャツ5色セットをもらえたのが嬉しかったかな。


ま、僕とカタンの関係はとりあえずこんな感じです。何はともあれ、ドイツゲームとの出会いのきっかけになったゲームなのでこれからもずっと好きなゲームの1つでありつづけるでしょう。