弱肉強食を誤用してないか?


最初は、[so-so-so]のカテゴリで行こうかと思ったけど、このテーマで書いていくことが多くなりそうなので新カテゴリに。


この「他者を感じる力」は5/30の五月祭総長講演会で小宮山先生が取り上げていたフレーズ。このところもやもやとしていたことをちょうどあらわすフレーズだったし、僕が多人数ボードゲーム(とTRPG)でもっとも得てよかったスキルだと常々思っていることなので。



さて、今回書こうと思ったのはやはり、「リフォーム詐欺」のひどさから。
わざわざ「老人」「一人暮らし」と「弱者」を狙っての手口。なんだそりゃ。


よく「弱肉強食の世の中」なんてフレーズが使われるけど変な話だと思う。
自然界の弱肉強食は、異なる種の間では「弱いものを強いものが喰らう」わけだけど、自分たちの種の中では「弱いものを護る」のが基本ではないのか?


だからこそ、生物は「群れ」たり「家族」や「社会」を形成するわけだろう?
「騙される方が悪い」だなどとのたまって詐欺を働いている人たちだって、病気になりゃ病院にいくわけだし、それこそ赤ん坊の時は誰かに護ってもらってようやく生き長らえて今があるんだろう?
彼らは自分が病気になったときや、自分の赤ちゃんが餌食にされても文句ないのだろうか?


自然淘汰は世界の定理かもしれないけれども、それに対して「同じ種の中」では弱者は強者が護るものではないのか?
ただでさえ、「(自らも原因がある)地球環境の変化」という形で淘汰圧は高まっているわけだし。



どちらにせよ(ここが提案)、「人間社会内部」に対してマスコミは「弱肉強食」というフレーズを安易に使うべきではないと思う。いかがでしょう?



自然淘汰といえば、世の中には子供が欲しくても授からない方もいる一方で、「自分の人生が失われるから子供は欲しくない」と言う人も居る。うーん、生物としての本能でいいのか・・・・・・ってそういう遺伝子の人は1世代で居なくなるからいいのか。ふむ。よくできてる(ホントか?)


まあでも、自然淘汰ので適当なこと書いてるとぱぼさんに怒られちゃうか?



ちなみに、最後にボードゲームな話題。たとえば4人でプレイしていた場合、途中経過で強さに差が出てきます。
このとき、きちんとゲームを楽しめるメンバーならば、1位を追撃すべく、2位と3位が手を組み、それに対抗すべく1位は4位と手を組むことになります。


このとき、弱肉強食とばかり、1位が優位を活かして出遅れた弱者(4位)をさらに叩いていては逆効果。2位と3位と4位が手を組んでしまい、1位は孤立します。1位が4位のプレイヤーに対して逆に4位側に有利な条件を提示してパートナーとして進み、「全体としてのバランス」が保たれます。


このあたりが、僕が対戦型の囲碁や将棋などの「2人用ゲーム」よりも多人数ゲームを好む理由です。


追記:さらにリフォーム詐欺だけでなく、中1の兄が小6の妹をバットで殴るって、家族の中だけでもか?