この2年間を振り返って

お陰様で著書がamazonの「工学ジャンル」で1位になりました!

今週発売(本の奥付では今日発行)の著書が、お陰様でamazonの「工学ジャンル」で1位になりました。

ビジネスブックレビューという最も影響力の大きい書評blogで、とても「本日の1冊」として取り上げていただけたことが大きかったようですが、
http://eliesbook.co.jp/review/

やはり書き上げるまでも含めて、ここを読んでいただけている皆様のお蔭だと思います。
ありがとうございます。
お陰様で38歳最後の日に、素晴らしい思い出をいただくことが出来ました。

そして明日から、10年続けた「so-so航路」という日記タイトルを変えようと考えています。
今日のこれが、so-so航路としては最後の日付の日記になります。
(2年間を振り返っていてとても長いです)

内緒の吉凶

そう、お陰様で38歳も最後の日となりました。

実は誰にも言っていないゲン担ぎとして、数字に吉凶をつけていました。

3,7,8は吉数
4,6,9は凶数として。

例えば列車ではあまり4,6,9号車には乗らず、3,7,8号車を選んで乗っていました。

人に話すとゲン担ぎの効果が薄れると思っているので、誰にも言っていませんでした。
でも、37,38歳が過ぎて、あとは暫く凶数有利なので、もうこのゲン担ぎはいいかな、と。

なので、吉数が並ぶ37,38歳は自分にとっても勝負の年かなーと思っていました。
そしてお陰様で38歳最後の日に、先ほどのような嬉しい結果を受け取ることができました。

そういうわけで、2年間を少し振り返ってみます。

37歳、最悪のスタートからの始まり。

37歳を迎えた日、僕は両足を捻挫していました。
1週間前の8月24日に新宿駅の階段で転んで左足を捻挫したのです。

翌日、とある接骨院で治療を受けたのですが、そこがとんでもないヤブでした。

両足を比較して、左足捻挫と判断して、左足だけテーピングしてくれたのです。

私自身もそこまでとは思わなかったのですが、実は右足も軽く捻挫していました。
なので、帰りの新宿駅の階段で左足を庇って右足を使った所、こちらもより深く捻挫してしまいました。。。

その後、近所の接骨院に通って安静にすれば全治3週間と言われていましたが、2児共働きかつ、妻が妊婦という状況では、足を庇ってばかりいるわけも行かず、治りはずっと遅れに遅れました。

9月 転機のTRIZシンポジウム

そんな両足捻挫のまま、9月6〜8日に初のTRIZシンポジウムに参加しました。
幸い、会場が妻の実家から近く、義母が会場まで車で送って下さったのはとても助かりました。

シンポジウムでは椅子を用意していただき、座ったままでの発表をさせていただきました。

実は、その直前で行われた韓国からの招待講演で来て下さっていた方の「発明原理8個のドレミの歌」の対抗馬(?)として、発明シンボルが選ばれており、若干緊張しながらの発表でした。
(ちなみに、通常発表は、半分の会場で30分なのですが、私は全員に対して15分、という特別枠でした)

お陰様で、多くの人に好意的に受け取っていただけて、良かったです。
直後に日経BP社様の取材を受け、これがその後、技術者向けサイトTech-Onに載ることになりました。
走ることもできないので、その直後に会った集合写真に写りそびれる、というオチまで付きましたが(苦笑)

帰り道、シンポジウムに一緒に参加していたTRIZでの師匠Nさんから、
「この発明原理シンボルは面白いから、その成り立ちを本で出すといいよ」と言っていただきました。

早速、その日の帰りの電車から、発明シンボルについての話を執筆し始めました。出版の目途など何もありませんでしたが、シンポジウムにおいて参加者の投票により決まる「最も役に立った発表」に断トツで選ばれているという情報が複数の方面から入ってきていたので、いつかは本にできるだろうと信じて文章を書いていました。

最初は、blogに載せようと思っていたので、日常の例に加えて、「ゲームに見る発明原理」というコーナーも書いていましたw


連日の牛丼生活と、長男誕生

結局、両足捻挫は10月8日の長男誕生のころまで続きました。
その間、ランチは職場の人とは行けず、オフィスの建物から10分の1くらいの距離で行ける「すき家」で食べていました。

牛丼ベースに、ねぎ玉、キムチ、オクラ、などなどほとんど全部のトッピングを制覇したと思います。
ところが牛丼には飽きないことに自分でも驚きました。中高からの同級生がベンチャー立ち上げから上場まで牛丼ばかりの生活だったというのも納得しました。
そして、職場のメンバー(同期2人+先輩)が無理して品川まで来なくても、厚木で出来る仕事でいい、と言ってもらえたのも助かりました。


会社には行きましたが両親と義両親が週末は実家に連れて帰ってくれたので、足を休ませることが出来ました。ついでに原稿も書けました。

そして、9月下旬のTRIZ発明シンボルのTech-On掲載を経て、10月8日、長男が生まれました!http://d.hatena.ne.jp/so-so/20121013

産褥期の妻と3人の子供を世話するのは、まだ捻挫が少し残る自分には手に余り、両親と義両親。特に義母には大変お世話になりました。

冬を迎え、子供たちの病気が増える時期ですが、隣のサンドラッグで買っている野菜ジュースのお蔭か、我が家は自分の周りで聞いているよりも半分か1/3くらいの頻度で済みました(といっても、月に1度は誰か熱出してますが)

情けは人の為ならず。Twitter上での奇蹟

冬が過ぎ、3月のある日、Twitter上で見知らぬ方(N氏)からこんな質問を受けました

「@moutokuさん ”見る”と”観察する”の違いって何でしょう?」

幸いにして、私はそれに対する答えを持っていました。

「”見る”はただ見ること、”観察”は、なんらかのアウトプットを想定して見ることだと思います」
と、目の前にあるビールの缶を観察して描いた写真と共に返信しました。

実はこれ、中学生の時に読んだシャーロックホームズの「ボヘミアの醜聞」でベイカー街2階に上がる階段が17段であることを例に、ホームズが言っていたことです。

N氏から喜んでいただき、いいことをしたなぁ、と満足して、また普段の日々を送っていました。


するとFacebook上で突然、干場さんという方からメッセージが。「TRIZで本を書いてみませんか?」というオファーでした。(干場さんが今回の出版していただいたディスカヴァー社の社長です)

伺って話を聞いてみると、先ほどのN氏が、古くからの編集者仲間で、その方から「面白い人が居る」と推薦を受けたとのこと。

これが2012年4月2日のことでした。情けは人の為ならず、とはよく言ったものです。

執筆と重なる妹たちの出産ラッシュ

それから、執筆する日々が始まりました。干場社長自ら、担当編集となっていただけまして、非常に心強かったです。

とはいえ、同じ2013年の4月には妻も復職し、3児持ち共働き(フルタイム)の日々が始まりましたので、日常を回すだけでも大変です。

両親と義母が手伝ってくれるのですが、私の妹2人と妻の妹のところにも出産ラッシュ(妻含めて4人全員が35歳付近でした。2年間で計5人生まれています!!しかもうち2件は切迫早産で産休前に自宅安静になっていました)が起き、両親・義両親も昔のように我々が困った時に必ず来られる、というわけではなくなりました。
この年の正月に、2人の娘と義姪を預かって公園に行き、義姪がパパ、パパと言ってくれたのも良い思い出です。

執筆時間は、会社の移動時間と、時々、実家に行くことで捻出しました。まぁ元から年末年始、GW、お盆は遠くには行かず私や妻の実家に行っているのですが、それ以外にも3連休となると実家に行って執筆していました。もしくは、義両親などが子供たちを何人か預かってくれて、その間に執筆をしたりしました。

2013年4月から、勤務先が自転車で行ける厚木から、移動時間が長い品川勤務になったことが、大変でしたが、執筆時間の確保という面では役に立ちました。

2013年9月のTRIZシンポジウムとデータサイエンティスト

ゆえあって、38歳の誕生日も右足捻挫再発の状態で迎えましたが、前年よりはましでした。
私の捻挫に加えて、妻が百日咳になったり、義母が入院したり、中々大変な夏でしたが。
7月に発明原理1〜12の分の第一稿と、その前段を書きました。前段50ページほどはほとんど没になり^^;その痕跡ははじめにの4ページに残っています。

2013年のTRIZシンポジウムでは発表はしなかったものの、ツイていました。

実は4月からデータサイエンティストの肩書をいただいていたのですが、開催場所が統計数理研究所という、データサイエンティストの総本山だったのです。

そこの副所長がデータサイエンティストにとってTRIZが役立つ、という講演をしてくれました。

ちょうど、日経情報ストラテジー様から、電子お薬手帳harmoへの取材があり、上司からTRIZを絡めての説明をすることを勧められていました。
その結果、記者さんから私のキャラクターとTRIZ話が面白いと言っていただけ、「データサイエンティストの本音」として私単独の取材となりました。

副所長さんのお話のお蔭で、データサイエンティストとTRIZを自然に繋げることができ、その内容は2014年4月29日発売の「日経情報ストラテジー」に掲載されました。

2013年の冬も、子供たちは周囲の皆(特に甥姪)よりはあまり熱を出さない(それぞれ2〜3ヶ月に1度程度)で乗り切ってくれました。

2月1〜2日には、毎年恒例の、我が家と、両方の両親を加えた9名での旅行も

2014年3月に著書の方向性が大きく変わる

そこから9月の3連休や、年末年始、色々と使って(両方の実家にお世話になりました)原稿の第一稿が3月に出そろいました。

この時点では、新書版256頁を想定していました。

ここで、事例の写真やイラストを多く集めていたところからか、干場社長に「ピコーン」と天啓が来て、方針が大転換。カラーも図もたくさん使って発明原理をビジュアルに紹介する現在の形にすることとなりました。

当然、今までの原稿とは雰囲気が大きく変わります。またまた執筆量が増え、結局ゴールデンウィークは私の実家→妻の実家→私の実家、となったり、両親・義両親にどこか連れて行ってもらったり、妻と娘たちはキッザニアに行っている間、実家で執筆するなど、それなりに子供たちとの思い出づくりを犠牲にしての執筆となりました(逆に、子供たちは祖父母との思い出が随分増えたかと思いますが)。

職場の皆さんも、結構気遣ってくれていました。本当にありがとうございます。

なお、7年に1度のいとこ会(大人15名、子供7名の大所帯)の幹事も回ってきていて大変でしたが、妻が中心となって頑張ってくれました(まぁ妻側のいとこの集まりなのですが)


そして、2014年、夏、出版!

今まで書いてきたように、本当にたくさんの皆様の協力を得て、著書を出版することが出来ました。

今週発売(本の奥付では今日発行)の著書が、お陰様でamazonの「工学ジャンル」で1位になりました。

多分、今日のことは一生忘れないでしょう。もちろん、執筆に関わって下さった全てもですが。
ありがとうございました。

そして、こんな長文を、ここまで読んで下さった貴方に、もう一度ありがとうございます。