憲法とは「国家を形作る」手段、のその先に

憲法記念日だ。
平和憲法のことを考えるのは良いことだと思う。そして、僕の立場は3年前に2013-07-15 - それも正解ですで述べておいた通りで、「今の憲法を変えないメリットの方が大きい」


常に「憲法とは手段」ということは忘れない方がいいと思う。
憲法とは最高法規であると共にConstitution、「その国の構成を示すもの」だ。


その何処をいじる、いじらないの前に、「そもそもどんな国でありたいか」が大事なわけで、それが語られるこの憲法記念日は素敵だけど、大抵は今の国家体制の枠組みを前提に議論している。でも、私のこの日記を読んでくれる皆さんはこれから「そもそも今の国家体制」というものが維持できるのかどうか?に目を向けても良い日だと思う。


100年後の人になった気分でこの21世紀の初頭を俯瞰する、というのは面白い頭の体操だ。
祖父が生きていた70年前の日本は今とは違う国で、30年くらい後の日本もまた、今とは違う国だろう

ICTが発展して、企業の在り方は随分と変わってきた。20世紀の勤め人から見れば、今の会社は不思議な場所だろう。そして22世紀から見れば随分と不合理なことも多いに違いない。

金融の在り方なんてのは、変わり過ぎて破滅寸前なほどだ。(世界中の中央銀行が緩和しまくっていて、あそこに破滅を感じない方が鈍感すぎると思う)
というか、実体経済の何倍もの金が踊っている時点で既に破滅済みなのだけど。


その「金融の破滅(寸前の乱高下)」でおそらくまずは無くなるのが多くの営利企業なのだけど、その後には、「税金」と「中央銀行」いう「貨幣経済」を介して成立している「今の大多数の先進国国家」も、無くなっていく。(世界中の首脳は、たぶんそれが分かっていて、だからこそギリシャを延命させている。ギリシャが破綻したら、皆連鎖して破綻するから)



その後の世界、私自身の考えは、私淑する内田樹氏が述べる、「人は弱いものを護るために団結する時に力を出す」それは教育・医療の場であるという認識、に一番近い。

内田樹氏ブログ 『七人の侍』の組織論

http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.php
「では、どんな共同体なら生き延びられるのですか?」と重ねて質問があったので、ちょっと考えてから、こうお答えした。
教育のための共同体、医療や介護のための共同体、それから宗教の共同体くらいでしょうか。
とっさの返事にしては、なかなか適切だったように思う。
これら三つの共同体はどれも共通した特徴を持っている。
それは「構成員のうち、もっとも非力なもの」を統合の軸にしているということである。
教育共同体は若く非力な人々に知識や技芸を伝授し、成熟に導くためのものである。医療共同体は病み、傷ついた人々を支援するためのものである。信仰共同体は隣人を慰め癒すためのものである。
そのような共同体だけが永続性を持ちうる。


おそらくこれらに金融を暴走・破滅させたICT(+人工知能)の力をきちんと取り込んで行けた人材たちが、次の「国家」を形成するだろうと思う。

AI、ロボットは雇用を奪うのか?→奪うが積極導入しないと大幅減 - ロボットビジネスレビュー

さあ、今の暴走してしまった金融システムがどのように行き詰まり、「どんな次の国家体制」が出来上がるか。恐ろしいことだけど、ここから目を逸らさず、パニックに陥らないだけの見識とその端境期で、自分とかかわりを持った人になるべくプラスを与えられる人間でありたいと思う。


というか、未来を的中させるには、創りあげるのが一番なわけだけどね。