追悼:開想院卓道xx居士先輩


ここのところ、少々身近で残念なお知らせが続いています。(すべては書きませんが)

今日、中学高校の大先輩のお通夜に行ってきました。
その先輩は、母校である開成のことが大好きで、大好きで、
大好きすぎて同期のお坊さんに、戒名に「開成の"開"の字を入れてくれ」と頼んだそうです。
開成を想う院。いい戒名だと思います。


卓道は、卓球部だから入れてくれたのでしょう、と奥様がおっしゃってました


記帳台も、「一般・親族」と「開成関係」で別れてましたので筋金入りです。

中学生の時に見た、大先輩

この大先輩との出会いは卓球部でのことでした。
新潟の夏合宿、秩父の春合宿に姿を現す、白髪交じりの先輩でした。
といっても自分より22歳上なので、当時の30代後半。実は自分が中学生の時の先輩の年をもう追い越していたのですね。

でも、高校3年生すら大人に見えていた中学生の身には、とてつもなく年上に見えました。


この先輩は私が卓球部を卒業した後も卓球部を見守り続けていました。

次にお世話になったのは、就職活動

次にお世話になったのは、就職活動の時でした。

私は2000年新卒の時に、ソニーしか受けなかったのですが、その代わりソニーのことは徹底的に調査しました。
そうしてOB訪問をアポをとっている中で、ちょうど開想院先輩は、勤めていた会社がソニーとの合弁会社を作ったこともあり、自分の同僚でソニー出身の方のOB訪問をさせてくれました。


無事にソニーに内定が決まった時には、「お祝いしてやる」と六本木に飲みにつれて行ってくれました。嬉しかったです。(先輩のオフィスは六本木にありました)


その後もソニー志望の後輩たちを僕を逆にOBとして引き合わせてくれました。
「高木ぃ、お前ならぁ、こういうの大事なのぉ、わかるだろぉ?」酔うとよく言ってくれました。
いつまでも面倒見のいい先輩でした。


そして、卓球部だけでなく、開成の同期47年卒の事務局や、開成会全体の事務局もされていたそうでした。
実際、本日の列席者の大半が開成出身者でした。

今も、大学に顔を出す僕の心の支え

でも、今でも一番お世話になっているのは、中学の時に、遥か年上でもやってきてくれていたあの姿です。


私はその卓球部にはもう顔を出していませんが、大学で再興した委員会3つには、今も顔を出しています。


気付けば、10才下が居るなんて当たり前。
少しして、自分よりも長女の方が年が近い後輩ができたのが34歳の時。
そして、37歳の時には自分が入学した時には生まれて無かった1年生が。

もう、40になったので、3年生で入った委員会での年齢からすら倍になってしまいました。


正直、委員会に入りたての見知らぬ1年生とだけ居ると、年の差を強く感じ、

「あぁ、そして彼らにとってはもっと年の差を感じているよなぁ」

と少しその場に居るのに躊躇するときもあります。


でも、そんな時に思い出すのがこの開想院先輩の姿でした。


自分が出会ったときは12歳と34歳。倍どころか3倍近いです。
今日、9つ下の後輩も参列していましたから、彼の場合は12歳と43歳。3倍以上です。
いやそれどころか50代になっても顔を出されていたようです。4倍以上ですね。


その姿に比べれば、年齢倍くらいでビビっていては先輩に顔向けできません。
これからも開想院先輩の姿を胸に、年に何回かは若者たちの前に現れていきたいと思います。
そんなわがままを、呆れながらも結局許してくれている家族に感謝しつつ。

まるで入れ替わるように


今日、お通夜に出て、喪主である奥様に、先輩がとても後輩思いだったことを身をもって語れて良かったです。


自宅に帰り、このエントリを書いていると、母校の高1からのOB訪問の話が進んでいました。
まるで入れ替わるかのように。。。


開想院先輩ほど、まだ時間は使えませんが、諸先輩方から受けた恩を、少しずつ下に返していけたらと思います。



開想院先輩のご冥福を心からお祈り申し上げます。