知価労働時代のコストダウン(とコンサルの見分け方)

アナログ型の考えから解放されない人事制度(&コンサル)

世の中コストダウンするというのは経営の基本であるから、それ自体は良いことである。
しかし、ホワイトカラーのコストダウンにおいては、「アナログ的でお粗末」な方法と「デジタル的で本来の知価労働的」な方法の2つのコンサルタントがいるようだ。


その前者、いまだにアナログ時代のやり方をしている紺猿*1が跋扈しているようだ。


その特徴は「生産性を変えずに、評価だけしてコストを下げる」ことを主眼にしていることだ。


これは、「知的労働」というものを「アナログ的な部品の一種」としか捉えられていない旧時代人の証である。


そして、その結果、「コストを下げて生産性をもっと下げる」というお粗末なことをしている。
(なお、生産性に応じて、給料を定めるという中途半端な成果主義もこの範疇に入る)


このあたりは、この著書に詳しいのでお読みいただくとして。申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。


私のblogではもう少し生産性のある話をしようと思う。

デジタルの特徴は「容易にコピー」できること

世の中の皆様も存じのとおり、アナログとデジタルの大きな違いは、デジタルなものは「容易にコピーできる」ことだ。
ある鉛筆がとてもいいものだったとして、それを2本、10本に増やすには大変だし資源がそれだけ必要だが、
その鉛筆で書かれた「考え」は、それが良いものであれば、デジタル世界ではTwitterなりFBに載って「容易にコピー」されていく。

このデジタルの特徴、「コピーしやすいこと」を音楽のデジタル化で言えば

  • 欠点としてコピープロテクトで対抗しようとしたCD業界は斜陽になり、
  • 受け入れて適応した「着うた」は伸び、
  • 長所として追い風にした「初音ミク」の快進撃

は知る人ぞ知るところだ。(実はCD自身も、レコードよりも複写性がよく、劣化しにくいというデジタル化の恩恵を自分は受けて成長したのだが)

だから、知価労働の「コストダウン」とは、「生じた知価を、何倍、何十倍」にもする仕組みを構築して、
「知価あたりのコストダウンを、何分の1、何十分の1」にする、

これが真の「デジタル時代」のコンサルティングだと思う。


人事制度改革における「頭の良さ」の見分け方

既に、日本人、とくに大企業のホワイトカラーがしている仕事はほとんどが知的労働である。
それを「何割引き」にするか「何十分の1」にするか。
そのどちらが「効果が高い」方法なのかは明らかであろう


しかも情報の流動性が高まった現在、自社のコストパフォーマンスが数%Upしたとしても、周囲が数倍になっていたとしたら、
自社の生産性は「数分の1」になっていると考えた方がよいだろう。


とはいえ旧来型の紺猿がいた場合、その紺猿が悪いのは頭ではなく、意地が悪いだけなのだ、とも思える。
だって、彼ら自身はこの「知価の複製容易さ」によって、効率を何倍にもあげて儲けているからだ。
どこかの会社で得たノウハウを、ちょっぴり加工するだけで他社に売る。


「知価の複製容易性」を一番十二分に活用しているのが、この紺猿自身なのである。


そのことに気付かないふりをして、「数%程度のコストダウン」をコンサルテイングしている姿というのは、いかがなものであろうと、思うのである。


アナログ的な部品は「査定して価格を1割下げても、性能はそこまで変わらない」(長い目で見れば品質は落ちるが、企業努力もしやすい)
一方、様々なルーチンワーククラウド化していく中、知価労働の中で創造性の比率は高まり続けている。
創造性と言っても、そんなに大げさなことではない、「去年とまったく同じ仕事」が今年もどれだけあったか、の逆数である。


そして知価労働の中でも創造性というものは、報酬に対しての感度が非常に敏感である。


「あなたは生産性が低い」と言われながら収入を下げられると、その低下がたとえ10%(0.9倍)でも、おそらく創造性は100分の1以下になる。
一方で、某企業で行っているように、「アイデアの可否に関係なく、アイデア1件500円」とかにすると創造性は10倍以上になる。


2:分離原理をつかったり、8:つりあい原理、9:先取り反作用原理などを使えば、
総支出を一時的には下げながらも、知価労働の生産性を高めるやり方なんて、成果主義以外にいくらでも思いつくが・・・


この先は別料金です(笑)

*1:「紺色のスーツを着た猿」の略。どんな時に使うかはあえて省略