沈みかけの船と、鼠と、海


研究所から一緒に厚木に来たメンバーのうち最年長だった方が、今日で退職されました。

勤続35年。満期退社。周囲の人も、なかなかいないと感心していました。


私はまだ定年まで程遠いのに、so-soさんはどうするの?と時々聞かれます。

特に今、ちょうど旬な肩書をいただいていることもあり、「転職した方がもうかるんじゃないの?」とは少なくない方から言われます。


でもまぁ、儲かるとか儲からないとか、残るか転職するかとか、分かりやすい2択なんですかねぇ。

10年以上前から私が見ている「営利企業(と社会)の未来」は少々人とは異なっているようなので、今日はそんな話を書きます。



さて、ここからは喩え話で話をすすめます。


赤字が続いている会社のことをよく「沈みかけた船」と比喩がされます。

そしてそれは、「鼠(や動物)はそれを察知して先に他の船に逃げる」

という喩え話とセットになって、人口に膾炙しているものと思います。


転職した側の人は、「沈まない船」もしくは「それまでよりは沈みにくい船」に遷ったことを内心「賢い」と思っていることでしょう。


そして、沈みつつある船に残り、何とかしようとしている人たちは、船を直そうとしたり、(最近はこちらが主流ですが)船が少しでも浮くように、かつて必要だった艤装を次から次へと外へと放り出して船を軽量化することにやっきになっています。


僕は、双方どちらの方法とは違う感覚を感じています。



喩えをそのまま用いると、現実の船が浮いている状態の本質・・・物理的な意味合いとはなんでしょうか?


少なくとも「船が壊れているか否か」ではありません。


「船が押しのけている海水の質量が、自重よりも重いから」浮いていられるのです。


だから、どんなに船を軽くしたところで、海水の密度が0になってしまえば、どんな船も浮かびません。0は言い過ぎでも海水の密度が0.1でも浮いていられる船というのは、おそらく既に現在の「船」という概念からは程遠いでしょう。(おそらくMBAや金融系、投資家など、持ち株会社にあこがれている人の理想形とは近いでしょうが)


なので、今、様々な船が沈みつつあるのは、船が壊れているのではなく、「海水の密度(比重)」が軽くなっていっているからだと考えているからです。



さて、ここで私が海として喩えていて、「比重が0になってしまっている」と指しているものは・・・?

そして、じゃあ船に対してどうするのがいいのだろうか・・・?

それに対しての私の考えはまた次の稿で(海の比重=公私のリソース差がほぼ0になった - それも正解です)。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




この日、6歳になった次女が社会人になってるであろう20年後。


社会は、営利企業ははたしてどうなっているでしょうか?


どうなっていても、皆が今より幸せであるようにしたいものですね。