ネットが選挙活動に使えないことの見えない(本当の)損失

この期に及んで、ネットを使った選挙活動が認められていないことの国民的な損失について、「自動化」とは全く別の観点から述べさせていただくエントリです。

この10年でインターネットは本当に身近になりました。
Googleスマホが立役者になっていますが、その裏にはムーアの法則をはじめとした「1年半で倍」=15年で1000倍、という半導体産業のとんでもない成長があるわけで、それと「国民の生活」がつながる回路が広がり損ねる、という話です。


ネットは実際の普段の政治活動に使っている方も多数いました。
しかし、「選挙期間中は一切使えない」というのはまさに「悪平等」の典型のように思えます。「国政選挙」とは「平等」が目的ではなく、「国民の幸福の最大化」が目的であり、「公示等の平等」はその手段でしかありませんでした。

ネットを選挙期間に使えなくする、というのは、本末転倒にしか思えないものです。

そして、「この国の未来」を描く人には、もう少しこの「価値の複製にほとんどコストがかからない」という「デジタル甲斐性の世界」をそのビジョンに入れておいてほしいものです。また、「それが分かりそうな人」を選んでほしいものです


言いたいことは以上ですが、その裏に考えている話を、下記にるるつづっていきます。激しく長文ですがよろしければお付き合いください。
(余談:ちょうど書き終わりかけのところで娘2人が膝に来たので最後が飛ばし気味なのはご容赦ください)