■データの上で生き続ける親「150歳以上の高齢者が続出するだろう」
http://d.hatena.ne.jp/Taka-NX/20090927/p2




これ、たぶん本当にありえる予言だと思う。
100歳以上でも2万人としたら、65歳以上でみたらもっとではないだろうか。


プライバシー保護に関して、日本と欧米とを同じ土俵で論じてはいけないと思う。土俵=地縁的コンテキストが違うのだ。


いわゆる、「罪の文化」と「恥の文化」という言い方が分かりやすいけど、
欧米ではどんなに「人間相手のプライバシーの壁」を立てても、
そこを通り抜ける「神」という名の「全てを知り、裁く存在」が居るから、秩序は崩壊しない。


でも、日本にも神はいるけど、そういった存在ではない。
そんな中で、プライバシー保護を同様の文脈で述べるのは間違っている。


そんな日本では、プライバシーなんかより、なんの縁とも繋がっていないことこそを憂えるべきである。


「無縁」であることこそ、本来は日本では恐ろしいことだと思うのだが。
「縁がなくても、円(yen)さえあれば生きていける」社会というのはおかしい。


というか、「親の死」というものを、お金のために子が捻じ曲げることが可能になっているなんて倫理的におかしいと思う。