つぶやいてみよう

Twitterというサービスがあります。またの名を「ヒウィッヒヒー」(笑)。

Twitterについての説明はググっていただくとして、

SNSに比べて、このサービスの特殊なところは、

「目の前に見えているページがひとりひとり異なっている」

ということ。インターネット上のWebページや、SNSでは(アクセス制限が同等の人同士なら)目の前に見えているページは同じです。


でもTwitterの場合は、その人がフォローしている人の数に応じて、まったく違ったページが出来上がります。

Web上にそういう場所が少なかったですが、実は(Web)メーラーだってそうですよね。

誰かと誰かが同じメーラーのサービスを使っていても、そこにやってくるメールはアカウントごとに当然百人百様なわけで。

そのメッセージのやりとりがもう少しゆるやかな感じなのがTwitterです。

そのページのことをTwitterでは「タイムライン」と呼んでいます。

なんとも言いえて妙な、素敵な命名と思います。



というのも、「それぞれに見えているものが違う」というのは、実はTwitterだけじゃないんですよね。

われわれの生きている「時間軸」が常にそう。

今、皆さんがお読みいただいているこの文章だってそう、「文字列」としては同じものかもしれないけれども、大きくはすでにTwitterをしている人/していない人で違うイメージが脳内にできているはずです。

さらにそれぞれでちょっとずつ違う。


まったく同じものを見ているつもりでいて、
でも、実はそれぞれの頭に描いているものは微妙に/全く違っている。

それが同一でないことに苛立つよりは、
それが異なっていることを喜べるような仕組みが必要と思うのですよ。

皆の地球は、「一つの地球」ではなくて、「百億の地球の波の重なり合い」

そうした中で、偶然全く一緒のものを見ていたらその偶然が嬉しいし。
異なっていても、お互いを尊重していることが分かって嬉しいのも心地よい。


Twitterのサービスは、そういうことを、常々思い出させてくれます。
般若心経を写経している人はいつも思い出しているのかもしれないけど。


あ、そうそう私のTwitterアカウントは moutoku です。so-soはとれませんでした^^;
#私をフォローしている so-moutokuさんも同じだろうな



この文章は骨格は結構前に書いていたのだけど、Twitter友の彼の日記に触発されてUp

トラックバックしたことは彼にはTwitter経由で知らせるとするかw
http://walklikeabird.blogspot.com/2009/09/blog-post.html