辛いなぁ

追悼の坦々麺

本当は4/3の夜のことなんですけど、暗い話題なので別の日にしました。
というわけで、暗い話題は避けたい人は他の日へどうぞ。


にぎやかに過ぎた日曜だけど、僕の心の隅では、1つの暗い影がありました。
皆を送り、面会時間の19時を過ぎたので、帰りに病院最寄り駅のラーメン屋で坦々麺を頼みました。


暗い影の理由は土曜日の深夜にかかってきた高校の同級生からの一本の電話。
かかってきたときには、一緒に幹事をすることになった同級生の結婚式二次会のことかと思ったのですが、
もたらされたのは、同級生nautilus君の...訃報でした。




nautilus君は自分にとっては高校でも大学でも一緒だった友人でした。
高1の時は自分とは違うクラスだったけれども、よくうちのクラスに遊びに来ていました。
N君は美術部で、そこで出している部誌があって、元から実費しかとっていないのに、
「いやあ、せっかく買ってくれた人にはサービスしたいじゃない」
と、更に表紙にわざわざ1冊ずつ色塗りをして渡しているようないい奴だった。


そして高2の時には同じクラスで隣の席だったので色々と話した。まあ大概は他愛の無いことだった気がするけど、
数学が好きだったのと、特筆すべき?こととして、ラテン語を勉強してた。
ラテン語を読めるって良くない?」みたいに落ち着いたいつもの口調で。
(そもそもペンネームのnautilus が、オウムガイのラテン語。)


そして大学進学後、2年生から3年生に上がる頃、
当時、前委員長をしていた委員会(院政をひいていたと言われなくもない)で、主にキャンパスの1,2年生向けにキャンパス誌を出していただけど、僕もその表紙を担当していた同級生も3年生進学してしまう中、表紙の担当者が後輩に居なくて困っていた。


確かそんな中でちょうどnautilus君とキャンパス内で会ったんだっけな、彼は一浪で入ってきたので2年生だった。
「できれば表紙とか手伝ってほしいんだけど」と頼んだら2つ返事で引き受けてくれた。
一緒というわけでなく、僕が3年生で去る中、なかなか2つ返事で引き受けられるものではないと思うのだけど、彼はそのまま1年間、そのキャンパス誌の表紙を書いてくれた。
(まあ僕も3年生になっても、合気道のサークルがそちらであったので夜には週3回顔を出していたけど。ていうか、泊まってたけど:)



本当、世話になったよなあ、いいやつだったなぁ、と思いながら、頼んでいた坦々麺を食べる。
何で坦々麺かといえば、坦々麺は母校での高校生活の思い出というかメタファーなんですね。僕だけでなく部活の同級生やおそらく諸先輩方にとっても。


母校の目の前にあった、その坦々麺を出していた店は、他の店に変わったけれど(しかも2回も)、未だにそこで行なわれるちょっとしたOB会では、「やっぱり最後は坦々麺を出して欲しいなあ」というセリフがどこかしらからか聴こえてくる。


ラーメン屋ではなく、ちゃんとした中華料理屋なんだけど、皆がコースを頼むわけでもなくそこで700円の坦々麺だけを食べていたというあたりが高校生だから。
そして、最初からある程度辛いのに、お互いにラー油をどれだけ追加して辛くしても食べられるか?というしょうもないことで勝負しあっていたのも高校生だから。
他にも、店から、10人とかで行っても「メニューは3種類までにして下さいね」と言われたり、長居しているとクーラーを強くされて無言の圧力をかけられたり、色々とその店にまつわる思い出をひっくるめて、坦々麺を食べることは高校時代を思い出すことなんですね。


もうその時の坦々麺の辛さがどれくらいだったか覚えては居ないし、別に辛いものが好きなわけじゃないけど、とりあえずついてきた薬味(辛みそ)は全部入れて食べてみた。


辛かった。


そんなことして、何になるの?と言われたらそれまでだけども、なんとなくそうしたかったから、そうした。
あんまり大人になってからはしてなかったけど、スープも飲み干した。激しく健康に悪そうだったけど、なんとなくそうしたかったから、そうした。だって高校時代には、そうだったから。


心からnautilus君のご冥福をお祈りいたします。
これからは坦々麺を食べるたびには故人を偲ぼうと思います。


というわけで、題名は、「つらいなぁ」でもあり、「からいなぁ」でもあったのでした。