終戦と「始戦」と兵站

「戦争は儲かる」という話をしない「戦争議論の欺瞞」

8月前半はどこでも「戦争の悲惨さ」について報道する。
なので、小学校高学年にもなると「なんで戦争は起きるのか?」と子供に聞かれる。


それに対して、我が家ではまず非常にシンプルに答えている。

「それは戦争すると得する人が居るからだよ」と。


そこから話に入ると、非常に説明し易い。
でも、8月前半の戦争話は、そこを避けて行われているので実にバランスの悪い構成になる。

「戦争の悲惨さ」について伝えることは「二度と戦争を起こさない為」の必要条件ではあるだろう。
「戦災の悲惨さ」を伝えることは大事だが、それは「戦争を起こさないこと」において限定的な効果しかもたらさない。
しかし、あたかもそれが「十分条件」かのようにそればかり報道される。

それ以上に大事な「なぜ戦争が始まってしまうのか」については驚くほど報道されない。


今年はさらに安保法制の話まで入ってきている。
その中で「意味のある議論は何か?」
氾濫する情報の中で、必要なものを見つけ出すポイントは驚くほど簡単である。

それは「兵站」にまで話が及んでいるかか否かだ。

戦争を起こすも起こさないも「物資の供給と消費」次第

戦争の素人は戦闘を語り、玄人は兵站を語る。
それ以外はほとんど「戦争を論じるごっこ」をやっているようなものである。


「ちょっとした衝突」ではなく、「国と国との大戦争」になるためには、兵站、つまり大量の弾薬が必要なのと、大量の人員を「人殺し」に向かわせるだけの動機づけが必要である。


報道ではあたかも
「戦争をしたら悲惨で貧しくなり、戦争をしなければ今の平和=豊かでいられる」かのように描かれる。

しかし、これは全くのミスリードである。原因と結果が真逆だ。

別にこの70年間、戦争の悲惨さを皆が記憶しているから戦争が起きていないのではない。
別段、戦争を起こさなくても豊かに暮らしていられるから戦争を起こしてないだけのことである。

「戦争すると悲惨だから戦争しない」のではなく、
「豊かだったから今までは戦争をしなくて済んでいる」のである。

「戦争はなぜ始まるか」について語らずして「戦争を始めない」ことができるという欺瞞

日本がなんであんな無謀な戦争をしかけたのか?その起点はほとんど報道されない。
まるで日本が侵略したくてたまらなくて侵略したかのように描かれるか
いつのまにか戦争が始まっている状況で話がされる。


でも戦争をしないためには、「戦争を始めない」ことが肝要で、
そこに必要なのは「なぜ戦争は始まるか」を知ることの方が戦争の悲惨さよりもより大事である。


だから戦争が始まるまでに、日米の間で様々な外交のやりとりがあったことなどはほとんど取り上げられない。まるで軍部の暴走でアメリカとの無謀な戦争に突入したように描かれるが、日本だってアメリカと戦ええば兵站上もたないことは分かっていた。


しかし、満州事変で東アジアの大国になっていた日本はすでに「出る杭」になっており、アメリカも「出る杭を打ちに」きていた。日本も色々と譲歩はしようとしていたことなどがほとんど端折られてしまう。


結局、満州事変で得たものを戻せと言われるが、満州事変で得たものは、得たことを前提として経済活動が始まってしまう。そして


「戦争をしないとこの先豊かに暮らしていけない」と思うから戦争は始まり、
「戦争を止めたらにっちもさっちもいかなくなる(と信じてしまう)から戦争を続ける」


このことに触れない限り「なぜあのような戦争が始まり、そして続いたか」の説明はつかず、子どもにとって「戦争にしない方法が良く分からない」ことになってしまう。

戦争を始めないためには「豊かさの兵站」が大事

だから、終戦の日に語られるべきは、戦争の悲惨さだけではなく、

「いかにして、戦争をしなくても豊かに暮らせるように“経済活動の兵站”を整えるか」がセットで存在しないと片手落ちだと思う。


そうでないと、「もっと儲かるためには、他国に攻め込む必要がある」と考える「戦争をすると儲かる人たち」に「このままでは暮らしが貧しくなりますよ」とささやかれてころりと騙されてしまうだろう。


なお、今の日本のボトルネックを考えると、短期的には石油・エネルギー問題に見えているかもしれないが、本当は違う。真のボトルネックは「製造業に代わる産業が育っていない」ことである(参考〜[http://d.hatena.ne.jp/so-so/20141208
])。


だが、そこに関して述べ始めるとまた長くなるので、一旦はここまでで。


自分も、自分の子供も戦争には行かせたくないものです。
だからこそ、終戦の日にこそ「始戦」を考えましょう。