[名づけ]取材と2才と、3児の名の変遷でバレるわが身の感謝度合い

この日、著書で触れたamazon:トリーズの発明原理について月刊専門誌の取材を受けました。
取材に来て下さった記者さんの手には、何十か所も蛍光ペンでマーカーが引かれた跡が。(写真撮らせていただければ良かったなぁ)
記者さんによればこれまでもトリーズに着目していたが、判り易く書いてくれう本が今までなく、「まさにこれだ!」と思って取材をしに来て下さったとのこと。本当にありがたいことです。

この記者の方は、2年前のTRIZシンポジウムの発表内容まで印刷して持ってきてくださっていました。


さて、この10月8日は、3人目である長男の2才の誕生日でした。
改めて3人の名前を並べてみると、自分であることに気づきました。

  • 1人目 珠光怜(すみれ)
  • 2人目 萠文理(めもり)
  • 3人目 鵬澄(ほずみ)


我が子には「他者/社会に役に立つ人物になってほしい」という気持ちは1人目の時から変わりませんが、1人目(珠光怜)の時には、とにかく「自分の子がかしこく(=怜)、美しく(=珠)、今までに無いものを生み出せる(=珠光)能力を持つことで社会の役立つ(=光)人物になる」、という「個人の能力」目線でした。
珠光怜への一番最初の手紙 - それも正解です

3年後となる2人目の時(萠文理)の時には、歴史がより好きになっており、中国の歴史書である史記の一節

「貴本之謂文、親用之謂理。」:本(もと)を尊ぶを之れ"文"と謂ひ、用を親しむを之れ"理"と謂ふ。

も借りて
「新しいものを生み出せ(萠)、「文」の範囲も「理」の範囲も好きになれる子」

と、「過去の先達への感謝」が加わりました(→萠文理への一番最初の手紙 - それも正解です)。しかしまだまだ「役立ったと分かった人」への感謝にすぎませんでした。


しかし、5年後となる3人目の時には、「ほずみ」という名で「自分には感知できないけれども、周囲のすべてに感謝する」という意味も含められるようになっていました。
(→2012-10-13 - それも正解です

自分が子供が生まれてから8年間で、本当に色々な方にお世話になったのだなぁ、思いました。
子は親の鑑といいますし、特に名づけには親のセンスがもろに現れるとは、本当にそうですね。

ありがたいもので、この3人目が生まれる少し前から書き始めた本が出て、世の中に自分のアウトプットで貢献できたと思ったら、さらにそれへの感謝を受け取ることが出来ました(近日の日記で素敵なメールを紹介します)。

これからも、すでに出会った皆さんにも、まだ出会っていない皆さんにも感謝しながら、育児も通じて頑張らせていこうと思います



#余談:今、読み返してみると「文」もまた遺体を聖別するときの文様から始まっていますから神と繋がっていることはおぼえていたものの、一人目の「怜」もまた神様から帽子を受け取っている形ということがメモされていました。ちょっとホッとしました。