神とサンタとホズミ

さて、今年の年賀状を手渡しさせていただいた方には「実りを皆様に感謝しホズミと名付けました」と書かせていただきました。「ホズミ」が「実りを神に感謝する行事」であったことはhttp://d.hatena.ne.jp/so-so/20121013に書かせていただいた通りですが、なぜ「神→皆様」になっているかを下記にるる書かせていただきたいと思います。


かつてはキリストが神の子ということに特に疑問を持っていなかったこともある人生ですが、高校生のころにふとしたことでカトリックの洗脳が解けて以来「宗教とはよくできたツール(発明)だ」というのが基本スタンスでした。


基本的には「欠乏を耐える」「足るを知る」という方向で評価していたのですが、徐々に自分が「他の人の運命に影響を与える」ような経験をしているうちに、「神」と呼んでいたものは「隣人」である、ということに気付くようになりました。もうすこし平たく言えば「神様のおかげ」と呼んでいるものは「(自分が感知していない)隣人による行為の積分(堆積)」であるのだなぁ、と。キリストが「汝の隣人を愛せよ」とはけだし名言と言えますね


なお「他の人の運命に影響を与える」というと大層ですが、面接官やチューター、といった直接的なものから、ふと誰かから他の人の評判を訊かれた時の回答や、なにがしかの前例を作ること、なんてのも実はそうなんですね。


こういうことに気付けるのも「守破離」の「守」として、神というメタファーによって「他者が自分の運命に対して寄与している」という感覚を幼少期から刷り込まれているからで、そうでなかったら人はそれに気づくのは遅れると思います。イスラム教徒の一部にとっては、「他の神を信じている人」には寛容になれても、無神教の人は「畜生に劣る」存在として映るというのは、そういったことがあるのかもしれません。また、松下幸之助さんも東郷平八郎さんも同じ実力に見える人なら「自分は幸運だ」と思っている方を重用したそうです。


神様よりも一番わかりやすいのはサンタクロースであって、子供の時に「サンタがプレゼントをくれる(守)」→大きくなると「サンタなんて嘘さ(破)」→自分が親になると「我が家のサンタ(離)」になりますね。

まぁ、そんなわけで、ついこの間サンタになった方も、そうでない方も、拙blogを読んでいただいているくらい私の近くにいらっしゃる方は、私にとっては神の一部として感謝させていただいておりまして、本人も他の人より早くそう気づけるようホズミとつけさせていただきました。「ホズミ」をはじめ、我が家に本年もご加護のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます