愛犬が居なくなるということ。


妻のいとこの家で飼っている愛犬がそろそろ寿命だという。妻の親戚たちは皆心配そうである。彼女たちの日記とコメントを見ているだけでキュンと胸が切なくなる。(何度かお邪魔して泊まっている家なので僕も何度か会っている。)


僕の実家でも少し前まで犬を飼っていた。飼い始めは小学校5年生の時だったかなあ。それまでは大の犬嫌いだった。
というのも、小学校1年生の時、隣の同級生の家で「絶対噛まないから大丈夫」と言われたシロに「ガウッ」と見事にふくらはぎを噛まれたから(少しだけど血も出た)。
小1の自分にとっては大事件で、それまでの4年間、正直ずっと犬が怖かった。


しかし我が家に来た、「マイコ」と名づけられた柴犬の子供(仔犬)は、そんな犬嫌い(怖い)を一瞬で治してくれた。
紐で吊り下げた手袋に無邪気にじゃれる姿は、理屈なしでかわい過ぎた。中学生の頃は散歩が僕の仕事で、途中にある休耕中のたんぼの真ん中で綱を放すと、「ターーーーーッ」と駆けて行ったあと、円を描くようにしてこちらをからかうように近づいたり離れたりするのを追いかけっこしたのもいい思い出だ。


それから16年、僕の11歳から27歳になるまでマイコはずっと家族の一員だった。犬としては相当な長生きだったと思う。最後の1年は五感がだんだんと衰えていって大変だったが・・・(親が特に面倒をみていたけど)


そして2002年の11月15日、金曜日の朝、起こしにきた母が目に涙をいっぱいに浮かべて、マイコがとうとう天に召されたことを告げた。
前日まで(耳がすでに遠くなっているので)大きな声でギャンギャン吠えていたマイコが静かに静かに横たわっていた。


今これを書きながらでも涙がじわっと浮かんできてしまうくらいだけど、その時にどれくらい悲しかったかは覚えていない。多分、あまりその日は仕事が手につかなかったか、逆にマイコのことを考えると涙が出てしまうので仕事に集中しようとしていたかもしれない。


でもそんな僕には、まさにその直前の週末に、運命の人との再会があったのだった。それが今の妻である。その時には僕も妻も気づいていなかったけど、マイコだけはそれが運命だと知っていたのかもしれない。そして再会を見届けてから天に行ったのかもしれない。長く飼った犬ってのはそう感じさせてくれる存在です。


というわけでいとこたちへ、その日はいつかやってきてとても悲しいですけど、きっと何か素敵なことを残していってくれています。それを信じて受け止めて下さい。(いつかすみれも「犬飼いたいーー」って言ってくるのかな・・・)




後日談:
そんな妻との新婚旅行の飛行機内で、「さよなら、クロ」という映画が放映されていた。クロが天に召される場面でバレないようにやや上を向いて涙腺を乾かしていたのだが、やっぱりバレてしまった。
「so-soが泣くところ初めて見たよ〜」


亡き祖父の教えの1つが「男ってのは親が死んだ時以外に涙を見せないものだ」(男は涙を見せぬもの、見せぬもの...)なので、基本的に感動ドラマとか、涙を見せるべき場面でも泣かないので、妻にとっては驚きだったようです。(確かに直前の結婚式でも全然笑ってばかりで涙ぐんでなかったしね)。まぁ、それでも高校の運動会では男泣きに泣きましたが。


というわけで、犬が死んでしまう(特に寿命で)映画は見せないで下さい。お願いね^^;
(もしもう一度高校の運動会に参加できるならそれは大歓迎ですが)