今朝見た夢 と 自助努力 と善悪

(注:いつにも増して長いです)

今朝、妙な夢を見た。まあ、僕は喋る内容さえ「すぐに話題が飛んで分かりにくい」と言われるほどで、見る夢と来たら更に「そんな自分でも話が飛びすぎて分かりにくい」ことは常々なのだが、今日のは方向性が妙だった。そして最後に考えさせられることがあった。


まず、人が沢山、それも女の子が沢山出てくる時点で思い返すと僕の夢にしては珍しい。
しかも知らない顔ばかり。
まあとにかく見た夢の話なので、「整合性がない」とか「何で?」とか言わないでね。こっちが聞きたいくらい。自分に。夢とそのあとの随想なので、特に結論は無いです。あまりそういう文章が好きでない人は、次の章に進んじゃってください。





夢は、僕が10時からか自宅でテレビを見ているところから始まる。(正確にはそこからしか覚えていないだけだろうが)多分、「こたえてちょーだい」の再現ドラマと思われる。


通勤途中の1人の背広のサラリーマンの男が再現ドラマの主人公らしい。神社の境内を通り、参道の階段を下りていく。そこでなぜか、逆方向、つまり階段を上っていく私服制服とりまぜた中学高校生くらいの女の子の集団に傍目には誘惑、いやどちらかといえば挑発されるのである。というか、スカート丈を短くしたり、上半身裸になっている子とかもいるが、なんかいやらしくない、なんか淡々としている感じなのである。そしてとても妙なのである。(というかいやらしかったらこんな沢山の人がみてる日記には書かないが)


で、そのサラリーマンがどうなったかの再現ドラマの続きは不明(多分省略された。夢だから)なのだが、その再現ドラマの最後で「撮影協力: Wakuwaku Kids」みたいな形で、さっき出てきた何かひっかかる感じの女の子たちが所属する場所が少し出た。なんか中学生・高校生がいるのに、部屋の雰囲気は保育所みたいな感じだった。



で、何でそうなったのか分からないが、夢の中の僕はその「Wakuwaku Kids」をボードゲームを持って慰問することになっていた。


いつのまにかそのWakuwaku kidsに着いていた。場所は新宿の花園神社の近く。歌舞伎町は目と鼻の先である。そこでは先ほどの女の子たちが幼稚園生のように無邪気にじゃれあっていた。その時に僕は気づくのである。「あ、この子達は知的障害者なんだ」と。


そしてふと掲示コーナーの所を見ると

大人:350円
子供:250円

と書いてあった。多分1時間あたりの滞在料金と思われる。ここで先ほどの無邪気な子供たちの姿を見て精神的に癒される場所として商売をしているらしい。柔和な顔に、肝っ玉母さんの身体が合わさった、いかにも「園長先生」と呼ばれそうな女性が1人で国の補助無しに切り盛りしている様子。


この時間制の料金は重要な収入源だが、もう1つ、ここに来たお客さんで誰かこの店で気に入った子がいたら、双方合意の下で里親・里子としてここを卒業していく。その時の「お礼金」もひとつの柱らしい。


あと、そしてどうやらここは喫茶室でもあるようだ。

さて、Wanpaku Kidsのことも分かったし、ではコーヒーでも頼んでボードゲームを広げようかな、と思っていたところになぜかナポレオンズが登場。あの手品を使ったコントをする2人組である。そしてそのナポレオンズ曰く


「『so-soだけじゃすぐには話しかけられないだろう』ってボスの気遣いで僕らも来ました」とのこと。


確かに話しかけるきっかけに多少困っていた僕はありがたくナポレオンズにとっかかりを作ってもらい、3人で巧みにボードゲームに誘導していった。


ボードゲームたけなわの中で「おやつ」の時間になり、皆にお菓子が配られた。僕にも配られた。見たことのないお菓子だった。そして皆でお菓子を「いただきます」と食べようとしたところで・・・・目が覚めた。







ふぅ、この「みたことないもの」を食べようとする直前で目が覚めるというのは自分にとって良くあるパターンである。



とまあ目覚めに関してはどうでもよいのですが、さて、皆さんはこの「園長先生」をどう思ったでしょうか?


知的障害者をただ保護する対象としてみるのではなく、“癒し料金”を人から払ってもらえるような価値ある存在としてプロデュース(?)し、また、里親を見つけるための場としても提供している。
いかにも、「官より民だ」みたいな感じでいいイメージになると思うのですが。



でも、実は上の文章でわざと省いた部分があります。実はこの園長先生、ただ身寄りの無い知的障害者を引き取るのではなくて、“顔”や“性格・しぐさ”などである程度の“選別”をして引き取っています。果たして、それを聞いてどう思うでしょうか? 善と感じますか?悪と感じますか?
ちなみに、園長先生には私利私欲のようなものはあまりありません。





僕は、アリだと思います。“選別”と書くと悪いことに聞こえますが、世の中の健常者の世界でも“ミスコンテスト”や“オーディション”という名で普通に行われていることです。本来なら”美貌”というものは、なんら物理的には生み出さないものですが、ミスコンなどを経て、市場価値がある場所が与えられて初めて“美貌”が経済的な自立の手段の1つになりえているわけですから。




しかし一方で、多分、本当にこのような場所が実在していたとして、多分「売春」という一線とはずっと緊張関係が続くでしょう。世の中にはこういう「身体は大人、心は無邪気・無知」な異性を対象とする人は少なくないでしょうから。

果たして、そのような状態で、たとえば園長先生も、本人も納得づくでそういった行為が過去にあった場合、やはり園長先生は裁かれるべきなのか?それともそうでないのか?
落ち度は無いが、効果/持続性の無い施策と、落ち度は少しあるが効果/持続性のある施策。どちらが社会にとって善なのか?
法には触れるが、関わった人全てが得をする話と、法には触れないが税金を食いつぶすようなハコ物行政、どちらが悪なのか?


よく、裁判での弁護側の最終手段として「責任能力の有無を問う」というのがありますけど、たとえばこういった知的障害者の場合、「人生で選択してもいい手段」の基準は一般の人と同じでよいものだろうか?などなど、色々と考えてしまいました。


なお、ここまでの夢の話は、完全にフィクションです。(こういう夢を見たこと自体は本当ですが)


さて実は、すみれがお腹の中に居る頃に、「頭が平均より小さく」「羊水が平均よりかなり多い」というダウン症の子供に見られる特徴が2つ揃って現れたので、「生まれてくる子はダウン症かもしれない」と、ダウン症の子が生まれたらいったいどういう人生設計をするかを真剣に悩み、考え抜いた時がありました。
その時期が1週間くらいあって、あまり眠れず、僕は一度体調を崩して熱っぽくだるい日もありました(1回会社休んだかも)。「あぁ、精神と身体は不可分なんだなあ」と改めて思った次第。その時、妻は「(ダウン症だなんて)そんなことは絶対に無いよ。私には分かる」と断言してました。やっぱり母親というのは偉大なものです。


とはいえ、その時にダウン症の子供を持った親の日記とかも読み、結構知的障害児に関しては前より他人事に感じなくなりました。とはいっても実際に頑張ってる方の苦労の何十分の一も分かっちゃいないのですが(育児しているのでゼロではないと思いますが)。
妻なんかは公務員時代に、そういった障害者の作業所に研修で行って何か得るものがあったそうです(未だに年賀状が来ます)。700〜1000人に1人は遺伝子の関係で必ず生まれてくるダウン症、それを前提とした社会にできるといいですね。



夕方に知ったことですが、この日、タイ人の女の子を230万円でブローカーに売った人の逮捕とかそういう事件があったんですね。それが寝ている間に耳に入ってこういう夢を見たのかも。それがトクダネの放送で、その記憶が抜けないうちに「こたえてちょーだい」が始まったのかなあ?


あと、最近「高嶋ちさ子」さんのページを見て「みっちゃん」というダウン症の姉の話を読んでいたことも記憶の底にあったのかなあ。