パラリンピックと人工腎臓+

前の日記の「パラリンピックを見に行きたいポジティブな理由」のこと。

会社の未来的ラボの人からの示唆ではっとしたのですが、パラリンピックでの「義足」「義肢」というのは既に「不足を埋める」というマイナスの局面から健常者以上に速い足を持たせることも不可能ではない、という状態になってきています。

「身体の一部を失っている(でも生活できている)」というのは実は
「新たな機械を埋め込む空間リソースを持っている」ということでもあります。

私の年代ですと「スペースコブラ」というアニメがありまして、主人公のコブラは義手を外すと「サイコガン」という強力な武器を持っていました。

(これは、TRIZという”発明的問題解決の理論”で言えば、「発明原理#13 逆発想原理」であり、「資源の発見」プロセスともいえます)

スポーツは運動的な範囲ですが、透析の世界なんかにも革命が起きるかもしれません。今でも、過去に比べれば、透析装置が小さくなり、施設に毎回通わなくても「自宅で透析」する機材はできてきています。

技術は日々進歩していますから、ゆくゆくは「腎臓と同じサイズの透析機器」が出来上がり、さらに腎臓よりも小さいサイズで腎臓以上の機能を持つ生体機器はいつかできるでしょう(行われている現象を分子的レベルで考えれば理論的には可能です)

その時は一種の相転移であり、もしかしたらその頃(数十年後かと思いますが)、腎臓というのは成人したら1個は摘出して、"人工腎臓+"を入れるのが当たり前の時代、になっているかもしれません。(今は予防接種をすることが当たり前のように ← ジェンナーが成功させるまでは予防接種の考え方は狂気の沙汰でした)

そういうわけで、2020年にオリンピックが来たら、パラリンピックを娘達としっかり見たいものです。