やまとには もじよりさきに うたありき
とあるところで、2年半前(2010年4月13〜14日)にかけて書いた文章をこちらに再録。
-
-
- -
-
友人のブログ「英語馬鹿」を読んでみて閃くものがあった。ありがたい。
http://eigobaka.ti-da.net/e1671711.html
「英語って、本質を先にいっているから、この長ったらしい表現の途中で文章を切断しても、一応なりたつんですよ。」
「日本語だと、途中できると本質にたどり着かないよね。」
この文章を見て、頭の中のモヤモヤが1つ言語化された。
そうだ!
「日本語」は、「言語」じゃなくて、「うた」なんだ。
http://iida.jp/calling/#301433
そう思うと、色々なことに説明がつく。
- 「うた」だから、全部聞くのが、お約束
- 「うた」だから、議論に向かず、あいまいだ
- 「うた」だから、カサネ・アワセが 風流だ
- 「うた」だから、受け取る人で、解釈違う
- 「うた」だから、議論するより、共感だ
- 「うた」だから、五・七・五だと 気持ちいい
「うた」だから・・・
「うた」だから、物事の本質の縁を彩るのが美しい。
そして、本質の議論よりも感情による同一を目指す。
- 「うたうたい」全員そうだと 気付かない
- 「うたうたい」 力を合わせ 世界2位
- 「うたうたい」 サブカルチャーが メインです
「うたうたい」だけの村では、自分が歌を歌っていることには気づかない。
ふむふむ。やはり日本語脳と、英語脳の両方のデコーダを持っている方のお話は刺激に溢れている。
あ、トラバ先の結論も転載しておきます。これもまた炯眼
本質を見極めることができる人は、英語も話すのが上手だと思う。ちなみに、これを読んだからといって、英語が話せるわけではないんだけど。ただ、あまり日本語の表現、言い回しとか語順にとらわれないで、本質を見つけることを意識をしてほしいんですよ。
そう「日本語はうたである」。この是非を議論するつもりはないのです。表題のとおり、うただから、思いを重ねるのみ。(実は日本の会議もそうですね)
そして最初の文献、万葉集も歌が主役です。(cf中国の甲骨文は「占い」が主)
- ♪うただから オチは最後の おたのしみ
- ♪うただから 結論冒頭 興ざめだ
- ♪うただから 矛盾してても ここちよい
- ♪うただから 幾つも含意 あたりまえ
- ♪うただから 余韻で語る 俳句かな
- ♪うただから 間の取り方に 極意あり
- ♪うただから 真意は薫る ほどがよし
- ♪うただから 言葉の裏も おもてなり
- ♪うただから うたう間も ウツロウよ
- ♪うただから 皆も一緒に うたいましょ
- ♪うただから 最後はみなに あわせるよw
- ♪うただから 打ち合わせとは "誰うま"だ
参考(打ち合わせの語源・由来)
http://gogen-allguide.com/u/uchiawase.html
#蛇足だけど「誰うま」は「誰がうまいこと言えとw」の略
-
-
- -
-
最後に、2012年10月ならではの追記。
きっと古代日本、「ホズミ」の際にも歌はうたわれていたんだろうな。