オペラ座の怪人と理系男の恋心とメイド喫茶(本文)
8/27に劇団四季のオペラ座の怪人を見に行った。いろいろなところでオマージュされているのでなんとなくのあらすじは知っていたのだが、きちんと見たのは初めて。やっぱり音楽とか声の伸びがいいなぁ、とうっとり。切符を手配してくれたお義母様、ほんとうにありがとうございました。
感想なのですが、その前に妻が買ったパンフレットに載っている「見た人による感想文」が気になりました。2文あるのですが、2つともが、「クリスティーヌ(ヒロイン)は、怪人の"顔の"醜さを見て心が離れてしまった。という印象で書いている。
もちろんその印象の方が一般的なのだろう。きっと筆者のお二人の方が僕より恋愛経験が豊富なのだろうから、正しいかもしれない。
でも、それだと、クリスティーヌが怪人の素顔を見た後も、ラウルを振り切って怪人のところに歌のレッスンに行っていたことが説明がつかない。
なので、これを見た僕は違うイメージで見ていた。それは、「オペラ座の怪人とは、理系的恋心の象徴である」ということである。そしてラウルがそれの対極、「文系的恋心の象徴」である。
ここで出した「理系的恋心」とは何か。それは、恋心にも「F=mα」という力学と同様の法則が成り立つという前提をもった恋心である。つまり、
F(与える力):相手のために何かしてあげられる(してあげた)自分の力量
m(重さ):相手の恋愛への慎重さや相性による係数
α(加速度):相手の自分への心の傾き
そしてここで重要なポイントが、mは、相性によって多少の変化があっても正の数であるということである。
だから怪人はクリスティーヌの為に歌を教え、主役の座を与えるという力(F)で、心を得ようとする。そして実際、心をつかむことに成功していたと思う。
何しろ、醜い素顔を見てからも、怪人の下から離れるのではなかったし、ラウルと再会した際にも怪人のところに行くのを選んでいたのだから。
しかし理系男というのは、総じて恋愛に自分よりモテそうなライバルが現れると弱い。それは自分が恋愛能力についてはコンプレックスを持っているからである。(オペラ座の怪人では、素顔の醜さへのコンプレックスとして表されている)
相手は、同じF=maでも、mが自分よりも小さい、つまり自分より少ない労力・力量でも相手の心を動かせると感じるからである。
すると理系男はどうするか、それは「よりFを大きくしようとする」のである。それまでの「(女性側が)受け取れる分だけでいいよ」という感じから、「これだけ僕はできるんだぞ」という誇示&暴走状態になっていく。
その暴走の刃の行く先が前プリマドンナのカルロッタであり、シャンデリアでもあったのだと思う。
大学時代の委員会でもそういう暴走&破滅していく仲間の姿を何度も見てきた(その後始末をしたこともある)。他人事のように書いているけど、自分の中にもそういう芽があるのは感じていたので、人生の一時期に恋愛感情というものがにくくて仕方ない時もあった。まぁ今となっては大学時代にそういうことを経験しておいて良かったと思うけど。
と、大学時代の色々を思い出して趣深く観賞させていただいた。
そういう世界に入れるのは、また、劇団四季の完成度が高く、欠点がないことのあらわれでもあるだろう。
さて、突然話が変わって、メイド喫茶。
まだ行ったことはないのですが、メイド喫茶経営者の話を人づてに聞いて、「あぁ、理系的恋心をうまくついたビジネスだなあ」と思いました。
表題でオペラ座と並べたのは、ちょうど対極にあると感じたからです。
そう、メイド喫茶には、「F=mα」の法則が生きています。お客さんとして行けば、「お帰りなさいませ」と必ず言ってくれ、常連になる(何度も言ってFを高める)と、常連としての待遇を受けることが出来る。どうです?F=mαを破って文系的恋心のラウルが勝利するオペラ座の怪人とちょうど対極にありませんか?
そんなメイド喫茶経営裏話で特に心に残ったのは「ガチャガチャ機」の設置。それだけ聞くと「確かに、メイド喫茶に来る人と、ガチャポンのコレクターは相関性が高そうだ」と予想したのだが、実はそのガチャガチャ機の中身はメイド喫茶オリジナル。主に入っているのは「コーヒー券」や「ケーキ券」。でもそんなもののためにお客さんは大金を投入するわけじゃない。そこに入っている「オリジナルの当たり」なんだと思います? それは、
「ウェイトレス(=メイドさん)と2ショットで写真を撮れる券」
なのです。さてここで「え?2ショットで写真を撮るのに券なんて必要なの?」と不思議に思ったあなたはラウル(あるいはダーエ)側。理系的恋心を理解するにはまだ遠いようです(いや理解してなくても十分幸せになれるんですが^^;)。
ここで、ポイントは「ガチャガチャをしていたら偶然出てしまったので・・・」という言い訳を準備している点が重要なのです。
たとえ自分に声をかける勇気がなくても、例えば“ガチャガチャにお金をつぎ込む”というFをかければ、(mは大きいけれど)少し進むことができる。そんな道がいくつも用意されている。そんな理系的恋心へのサポートが、メイド喫茶繁栄の真髄なのではないか、と思うわけです。
(実地に検証しに行きたいのですが、前述の裏話をしてくれた友人の都合がとれないので、ずっと行きそびれております)