オペラ座の怪人と理系男の恋心とメイド喫茶(要約)

まずは最近、ドラゴン桜を読んでいて(モーニングで大体読んでますが)、400文字で話をまとめるのは訓練が必要というのを読んで、頑張ろうと思ったので、400字要約に挑戦してみる。(自分でも話が長いと思っているので)

[要約1]
先日、劇団四季オペラ座の怪人を観賞した。舞台装置も歌声も素晴らしく、非常によい晩を過ごすことが出来た。
その感想文代わりとして、ダーエは怪人の顔を醜いと感じていたかについて論じたい。


会場で販売されたパンフレットには感想文が2文あり、その双方が、ダーエは怪人の仮面の下にある醜い顔を見て嫌悪感を持ち、それをきっかけに心が離れていった、というように書いている。双方とも私より恋愛経験が豊富であり、その説にも一理ある。


しかし、その説では彼女が怪人の素顔を見た後も、ラウルを振り切って怪人の下に歌のレッスンに行ったことが説明がつかない。私は、ラウルというライバル出現によってダーエへの独占欲および怪人の恋愛表現がエスカレートし、他への危害をも厭わなくなってきたことが、ダーエをラウルの下へ去らせた原因であり、ダーエは怪人の顔を醜いとは感じていなかったのではないかと考える。(390字)




[要約2]
先日、劇団四季オペラ座の怪人を観賞した。怪人のダーエへの献身ぶりから、「理系的恋心」という単語が思いついた。
これをキーワードとして、秋葉原でのメイド喫茶の隆盛について考察してみたい。


世の中では「オタク=メイド萌え」、「ご主人様と呼ばれる快感」という文脈でメイド喫茶の繁盛が語られている。もちろんそれもひとつの要因だろう。


しかし、メイド喫茶の店舗にある「オリジナル商品のガチャガチャ」及びそれに大金をつぎ込む客の存在によって、もうひとつの要因があるのではないかと考えるに至った。
それは、「お金を払う」「何度も通う」といったわかりやすい類(たぐい)の努力で、「ポイントが溜まる」や「常連扱いをしてもらえる」という、「かけた労力(一種の献身)に比例して見合う成果」が得られるようになっている点が、「理系心」に合致しており、あれだけの隆盛を迎えているのではないかと考えるのである。(394字)